高認は進路変更する仕組みの受け皿
■高認(旧大検)を活用する 高校に行かない選択肢
高校に行けなかったり、中退したりした人などが、大学の入学試験を受けるための資格を得られるのが「大学入学資格検定」、略して「大検」でした。受検の機会は年間2回ありましたが、科目数が10以上あった時期もあり、決してハードルの低くない関門でした。
2005年度からは「高等学校卒業程度認定試験」、「高認」に衣替えされました。合格者は高卒と同等以上の学力があると認定され、大学、短大、専門学校の受験資格が得られます。こちらも年間2回の受験日、科目数が10科目程度と多く、簡単ではありません。
文部科学省によれば、2020年度の受験者は1万6654人、合格者は7681人。受験者数は残念ながら減る傾向にあります。私はこの高認を受ける人が増えたら、様々な良いことが起こるきっかけになるだろうと考えています。
現在の高認は、高校に行きたくても何らかの理由で行けなかった人の救済的な性格が強いと思われています。それだけではなく、過熱する高校受験競争に違和感を覚えたり、いま通う高校が自分に合わないと感じたりした時に、進路変更がたやすくできる仕組みの受け皿になればいいと思います。
■「成人の日」「成人式」に違和感、大人になれない政府と自治体
毎年1月などに各自治体が開く成人式。これ、本当に必要なのでしょうか。成人の日は祝日です。祝日に関する法律によれば、その趣旨は「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます。」だそうです。
大人になることを祝って、励ましてもらうことは良いことかもしれません。しかし、大人になることを、自治体や国家に“管理”される必要はないのではないでしょうか。成人の日なのに、逆に子ども扱いされているようで、滑稽に感じることがあります。成人式で自治体が大きな会場を借りて催すイベントは、ただではありません。税金を使って記念品を配る自治体もあります。
税金を無駄遣いする余裕はどの自治体にもないはずです。自治体の首長らのあいさつはどこまで必要なのでしょうか。政策や選挙のアピールに利用するという要素があるとしたら、趣旨が違うかと思います。
成人を横並びで一カ所に集めて、集団的なイベントを開く。その意味合いはどこにあるのでしょうか。久しぶりに仲間に会って、いろいろ話すことは楽しいし、意味があるでしょう。しかし、法的に成人になったそれぞれの誕生日の日に、各人がそれぞれ、大人の自覚をひとりですればいい。むしろ、大人の自覚は、ひとりで考えるべきかもしれません。
年齢に関係なく、人より早く“大人”になる人も多いはずです。成人のイベントを一律で実施することは、国民の個性を重視してこなかった日本の時代遅れの一面を反映しているのかもしれません。政府と自治体にこそ、早く大人になってほしいと願っています。
岡田 豊
ジャーナリスト
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