「社員は家族であり、会社の宝である」
■会社への所属意識が「個」を奪っていないか
昭和恐慌が起きた1930年ごろ。松下幸之助さんが創業した松下電気器具製作所(松下電器産業、パナソニックの前身)の経営は苦境に陥っていました。部下から、人員削減を進言された幸之助さんは次のように語ったといいます。
「なあ、ワシはこう思うんや。松下がきょう終わるんであれば、きみらの言うてくれるとおり従業員を解雇してもええ。けど、ワシは将来、松下電器をさらに大きくしようと思うてる。だから、一人といえども解雇したらあかん。会社の都合で人を採用したり、解雇したりでは、働く者も不安を覚えるやろ」
「経営の神様」と言われた松下幸之助さんは、人員リストラをしない経営者と呼ばれていました。経営の第一線から退いた1970年代にも、こう話しています。
「余ったら、首を切る。赤字になったら、社員の首を切る。そういう経営者は経営者たる資格はありませんわ。そういうことをしていると、会社は大きくなりませんね。大事な社員を、経営者が工夫もせず、新しい仕事の分野、事業も考え出すこともしないんですからね、失格と言われても仕方ないと思いますな。私は、そういう考え方で仕事をやってきましたね。社員は宝です、私にとっては。そんな宝を、捨てることは、ようしませんでしたよ」
松下幸之助さんは、従業員の首切りをしないという家族主義的な理念を経営に反映させ、松下電器産業を日本を代表する企業に成長させました。その理念は、創業家松下一族の社長世襲が2000年に途切れるまで続いたといいます。
世界有数の自動車メーカー、トヨタ自動車は、1950年の経営危機の際に約1600人の人員リストラをして以来、半世紀以上にわたって人員リストラをしませんでした。「社員は家族であり、会社の宝である」という創業以来の考え方が会社成長の背景にありました。
創業の豊田家出身でない奥田碩氏は、社長を経て会長となった1999年、雑誌に「経営者よ、クビ切りするなら切腹せよ」(文藝春秋、1999年10月)という文章を寄稿しています。トヨタは、平成の時代に入ってからも、日本の終身雇用の象徴的な存在でした。
終身雇用。年功序列。社員は会社のために尽くせば、会社はその見返りに、定年まで雇用するという人生の安定を約束してくれました。必然的に、従業員はその会社に強い所属意識を持つようになりました。こうした日本特有の雇用形態は、敗戦後の奇跡の高度成長の背景となり、日本を一時はGDPで世界第2位の地位に押し上げる原動力になりました。世界に誇れる日本の雇用形態だったという評価があり、現在、各国から再び評価される動きもあります。
ただ、こうした日本特有の素晴らしい雇用形態の中で生まれた労働者の所属意識が、一方で、私たち日本人を息苦しくする「副作用」を生む側面になっていないかという問いかけです。従業員らにとって、どの職業で身を立てるかという「就職」よりも、どの企業に所属するかという「就社」の意識が強かったのではないでしょうか。
会社に貢献する。会社の利益のために働く。従業員は自然とこうした意識付けになります。会社の上司や部下、同僚や先輩、後輩と共存し、会社が掲げる目標に向かって共闘します。会社という職場は、人生、生活の大半を過ごすよりどころになり、強い所属意識に直結します。従業員は、会社や職場の価値観や尺度を、自らの意義や価値として受け入れがちになります。
その結果、上司に褒められれば喜びとなり、叱られれば落ち込む。会社でポストをもらえば人生の成功と考え、出世できなければ自分を卑下する。会社への所属意識が高まれば高まるほど会社の価値観に支配され、自らの個を失うという側面が生じたのではないでしょうか。自分が働く職場や会社との距離感をどう取るのか。