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成功体験が邪魔をして考えなくなった日本人
■ひとつの船に押し込められた日本人、アメリカ人は各人の船をこぐ
「アメリカ人はみんな自分の小さな船に乗り、ひとりで必死にこいでいます。沈むリスクはありますが、個々の船の存在は尊重されています。厳しいが、楽しくもある」
生活の拠点を日本からニューヨークに移して10年以上たつ知人の翻訳家は、こう語ります。
「日本人はひとつの大きな船に押し込められています。その大きな船に乗ってさえいれば目的地に連れていってくれますが、突出した個性は許されません」
この指摘はアメリカと日本の違いの本質を突いているかもしれません。アメリカ社会は個人を尊重するから、自分の居場所を見いだせるチャンスは多い。しかし、「競争が激しい社会なので、自分のアイデンティティーをしっかり見いだして、個を確立しないと、うまく生きていけないのではないか」と知人は言います。アメリカでは、個性や存在が認められても、それだけでは決して幸せなわけではなく、懸命に自分の頭で考え、行動して成果を出さないと埋没してしまうという指摘です。
「日本人は、自分で考えなくても何とかなるようにできている」
知人はこう言います。代わりに、尺度や価値観の数は少ない。そうしないと、ひとつしかない船は収拾がつかなくなるのではないかと。一人ひとりが自分で考え、価値観や尺度が増えたりすると、都合が悪くなるのではないかと指摘します。
「忖度」を直訳できる英語はなかなかありません。「日本は暗黙のルールが多いから息苦しい」と知人の中国人は言います。暗黙のルールの典型は「空気を読まないといけないこと」だそうです。そう言えば、空気を読まない人を「KY(ケーワイ)」と呼んで揶揄することがあります。「空気を読む」を直訳できる中国語はないそうです。日本では「横並び意識」が重視されがちです。同質性が高い社会と言われます。
個性を奪われてもリスクが小さい大きな船に乗るのか。リスクは大きくても自分の頭で考えられる自分の船をこぐのか。私たちは、どちらを選べばいいのでしょうか。
いつから日本人は自分で考えなくなったのか。
「戦争に負けた後、多少裕福になったころではないでしょうか」
翻訳家の知人はこう指摘します。敗戦後、日本人は、がむしゃらに働いて、高度経済成長を成し遂げ、「奇跡」ともてはやされました。その成功体験が邪魔をして、日本人は自分の頭で考えなくなったのかもしれません。
また、日米安全保障条約などによって、アメリカに国防を依存するという構造を受け入れた結果、平和がいかに尊いことか、平和を維持することがいかに困難を伴うことか、考える感度が鈍ってしまったのかもしれません。
■「五十肩」「老眼鏡」と言わない価値観
ニューヨークで診療所に行った時のことです。肩がバリバリに張って腕が上がらなくなりました。
「五十肩かもしれません。診てください」
すると医師は「あー、フローズン・ショルダー(Frozen shoulder)ですね」と。
「フローズン・ショルダーって何ですか」と聞く私に、「四十肩、五十肩のことですよ。アメリカでは、forty shoulder とか、fifty shoulder とは言いません。年齢差別につながるからですかね」と医師。
フローズン・ショルダー。肩が凍ってしまったように痛いという、その症状だけを表現した言葉です。日本の四十肩、五十肩は、その年齢で症状が出るという、年齢に重点を置いた言葉です。フローズン・ショルダー。何となく、センスが良いなと思いました。似たような言葉が他にもあります。
ニューヨークで英会話のレッスンを受けていた時でした。「老眼鏡が必要になってきた」と英語で言いたかったのですが、老眼鏡の単語が出てきませんでした。すかさず講師が「Readingglasses」と教えてくれました。リーディング・グラスィズ。「読むための眼鏡」。
日本語の「老眼鏡」と比べると、やはり、機能を重視した言葉です。「老」という人間の年齢の特徴を表現することを避けた言葉なのでしょうか。
日本語で「老いる」という言葉には、素晴らしい意味合いが込められていますが、ネガティブなイメージを感じる人もいます。リーディング・グラスィズという表現は、余計な印象を排除するがごとく、実にシンプルで、オシャレな言い方だなと感じました。