なぜ日本人は伊能忠敬の生き方を学ぶべきか
■伊能忠敬は「凄い高齢者」のお手本
「人生のピークを先に延ばした人」がいます。
それは伊能忠敬です。ちょっと説明します。
伊能忠敬は婿入りした伊能家の家業経営を成功させたほか、名主などを務めた後、50歳で隠居します。それからのセカンドステージが、“凄い”としか言いようがありません。
彼が生きた江戸時代の1700年代半ばから1800年代初めの平均寿命は30歳から40歳とされています。現代と異なり、乳幼児の死亡率がきわめて高かったため、単純な比較は無意味ですが、それにしても当時の50歳といえば、「高齢者」であることは間違いありません。
にもかかわらず、彼はかねてより関心を抱いていた暦学(天文学)を学ぶために、郷里の佐原(現在の千葉県)を出て江戸に居を移します。セカンドステージの始まりです。
江戸で当時の暦学の第一人者の高橋至時に師事し暦学を学びます。当時、高橋は伊能よりも19歳年下の31歳。ご存じの方も多いでしょうが、その後、伊能は17年かけて日本全国をくまなく歩き『大日本沿海輿地全図』完成の礎を築きます。
地図の実際の完成は弟子たちの手によるもので、伊能自身は完成図を目にすることなくこの世を去りますが、10回近く全国各地への測量の旅にトライし、素晴らしい成果を積み上げました。
生前の彼が、人生のファーストステージで味わうことのなかった達成感を得たであろうことは想像にかたくありません。
江戸時代終盤、日本を訪れた欧米諸国の要人たちが、その地図の当時としての正確さに驚愕したことは有名です。
話が長くなってしまいました。
歴史的に考えれば、伊能忠敬のセカンドステージのピークは、彼のファーストステージのそれを大きく超えたものと言っていいでしょう。
また彼の健康寿命の長さも特筆すべきでしょう。享年74歳ですが、当時としてはきわめて長寿です。その要因として日本全国を歩き回ったことで、年齢の割には筋肉量を維持していたことも挙げられるのではないでしょうか。
いずれにせよ、誰でも伊能忠敬のような歴史的偉業を果たすことはできませんが、70代、80代の生き方を考える上で、一つのお手本として覚えておいてもいいのではないでしょうか。
和田 秀樹
ルネクリニック東京院 院長