高齢化が進む日本社会において、親の経済的な自立が困難になり、子どもが親の生活を支えざるを得ないケースがあります。長年連れ添った親との関係に葛藤を抱えながらも、経済的・精神的な負担を背負い込む子どもたち。しかし、その負担が限界に達したとき、親子の関係は大きく変化することも。みていきましょう。
娘が年収2,000万円だから大丈夫…「年金月8万円」でも老後不安を感じない65歳母、大企業に勤める独身ひとりっ子の42歳娘から告げられた「まさかのひと言」 (※写真はイメージです/PIXTA)

「頭がよくなければ貧しくなる」母親の呪縛

齋藤智子さん(仮名)は現在42歳。独身。奨学金に頼り国立大学を卒業後、大手企業の会社員としてキャリアを築いてきました。

 

智子さんの人生は、長年連れ添った母親との二人三脚。離婚により母子家庭で育った彼女の幼少期は、古びた木造アパートでの暮らし。母親が常に金策に頭を悩ませる姿が目に焼き付いています。母親は口癖のように言い聞かせました。「頭がよくなければ、貧しくなる」と。その言葉は、まるで逃れられない呪いのように智子さんの心に深く刻み込まれたのです。

 

当時の母親は月収15万円で非正規雇用として働いていました。日本のひとり親世帯の貧困率は、依然として高い水準にあります。厚生労働省の調査が示すように、経済的な困難が子どもの教育機会や将来に大きな影響を与えるという現実は、智子さんの幼少期にも色濃く影を落としていました。

 

智子さんは、一心不乱に勉強に打ち込みました。母親の期待に応えようと、塾にも通わず奨学金を借りて国立大学へ進学。

 

長期インターンを経て、大手企業の総合職に内定を得たとき、智子さんは初めて自分を誇らしく思いました。母親に報告すると、「私があなたを育てたから、高い給料をもらえる会社に入れたのよ。これからはその分をしっかり返しなさいよ」と告げられました。

 

「おめでとう、の前にお金の話だなんて……」智子さんは深く傷つきました。しかし、これまでの日々を振り返ると、母親の言葉はある意味で真実を突いているようにも思えたのです。

 

地方配属…初めて母親から離れる

入社後、智子さんは地方支社への配属を言い渡されます。生まれて初めて、母親と離れて暮らすことになったのです。見知らぬ土地での、初めての一人暮らし。休日は、家から少し離れたところにある昔ながらの喫茶店に通うのが日課になりました。喫茶店のマスターや常連客は、智子さんにさまざまなことを教えてくれました。

 

奨学金の返済と母親への仕送りのため、余裕のある暮らしではありませんでしたが、常に母親の影を感じながらも、初めて手にした自由を精一杯謳歌していたのです。