人が逃げた街はコミュニティーが硬直化する
私は仕事柄、国内のいろいろな地方にある街を訪れ、そこで仕事をする機会に恵まれてきました。そんな理由から、経済誌である「週刊東洋経済」に毎週「人が集まる街逃げる街」という連載をかれこれ2年半も担当させていただいています。連載でもよく触れるのですが、人を集める元気な街には必ずと言ってよいほど、街にメッセージ性があるということです。
新潟県の燕市と三条市では街の地場産品である、高性能のハサミや爪切りを外国などに紹介して、世界から称賛されるようになり、イベントでは町工場を開放して多くの観光客を集めています。
岐阜県の高山市では、11カ国に及ぶ言語に翻訳したホームページを作成しただけでなく、外国人観光客に電動自転車を使わせて、市内の至るところを訪ねてもらう手法を採用したところ、日本人ではあたりまえすぎて、さして感動もしなかった水田の美しさが注目を浴び、そのことが世界中に喧伝されることで、さらに多くの観光客を集めることに成功しました。
私の知人は、大学生のときに新潟から憧れの東京に出てきました。東京はあまりに魅力的であったので、当然そのまま東京に就職しようと考えたのですが、地元生活の居心地の良さが忘れられず、結局地元の新潟で就職をしたそうです。
彼女が考えたのは、たしかに東京はとても素敵な街であるけれども、自分ができることを考えると東京ではほんのちっぽけな存在にしかなれない。それならば自分は新潟在住で、東京とのコンタクトを絶やさずに、東京の良いところ、素敵なところを新潟に持ってきちゃえと、考えを変えたそうです。その結果、多くのコミュニケーションが発生し、地元にも大いに貢献ができていると言います。
地元の人たちはともすると、地元の心地良さだけに浸って、他所との交流を避けるようになり、なかなか自身の殻を破れなくなると言います。そこで自分が東京の良いところを勝手に持ち込んで地元に刺激を与え続けることで、また新たなコミュニティーが形成されることを狙ったのだそうです。
人が逃げる街の典型が、街のコミュニティーが硬直化することです。人の出入りが少なくなり、いつも同じメンバーだけが集まって生活する街は、みんなが同じように考え、同じように行動するようになるので、一見すると居心地の良さそうなコミュニティーに映ります。ところが同じメンバーが何度集まったところで、新しいアイデアはなかなか生まれません。年を経るごとに、メンバーも高齢化していきます。高齢になると多くの人は現状を維持するだけでよい、新しいことを考えるのは面倒くさいというパターンに陥ります。こうしたコミュニケーション能力の低下が街に停滞を招くのです。
よそから常に新しい人、もの、カネ、そして何よりも重要なのが、情報が入ってくることによって街の血液が常に入れ替わり、街の新陳代謝が進みます。