ポスト・コロナ時代の街づくりは大きく変わる
ポスト・コロナにおいては、これまでの都心一極集中から郊外、あるいは地方への人の分散が行なわれることが予想されます。しかし、郊外や地方の街であれば、どこでもよいのかと言えばそういうわけではありません。
昭和の後半から平成初期にかけては、大都市圏に集まる人々の受け皿として大都市圏郊外へと、住宅は一方的に膨張しました。
とりあえず住む家があればよい。住民のための最低限の商業施設があって毎日の買い物ができればよい。子供が通える学校があればよい。とりあえずは若いファミリーが多いので小学校が必要。そのうちみんな育ってくるのでその先には中学校を用意すればよい。
おおむねこんな感じで街づくりが行なわれてきました。家の主人の大半は都心に通勤するサラリーマンでしたので、平日の日中はほとんど街に滞在しない。週末は車に乗って近隣の商業地に出かける。そこにファミリーレストランがあって家族サービスができればよい。こうしたストーリーがすなわち、郊外生活と呼ばれるものでした。
ポスト・コロナでは、こうした平板な生活ストーリーはおそらく通用しません。なぜなら、住民の多くが、一日のほとんどを街で働き、買い物をし、寛ぎ、楽しむことになるからです。それぞれの街の魅力が今こそ問われる時代になったとも言えるでしょう。
ポスト・コロナの街づくりに欠かせないのが、街の中にさまざまなレイヤーを設けることです。レイヤーとは何でしょうか。ITなどでよく使われる用語ですが、直訳すれば「層」とか「階層」といった意味になります。つまり、さまざまなソフトウェア、システム、ネットワークを構築し、これを街中に張り巡らすことです。
どんなに自然が豊かで食べ物がおいしい街であっても、Wi-Fiがつながりにくいのではそもそも仕事ができません。街中の情報はネットを通じてなんでも手に入る。今日は街のどこで何が行なわれている、自分の情報を発信して街の人の関心を惹きつける、双方向の情報のやり取りが街中でごく普通の環境として享受できる、そんな街のインフラが必要になるのです。
これからの生活には、シェアリングの考え方がひじょうに大切になります。コロナ禍においては、他人が使った、触ったものは危険であるため消毒する、忌みし、避けるものであるからシェアリングの考え方は後退するという説もありますが、本質的な議論ではありません。
感染症対策はなされるべきものですが、では必要なものはなんでもすべて所有しなければならないという理屈にはつながりません。要は安心・安全な処置を施したものをみんなでシェアすればよいというだけの話であるからです。