多くの中高年が直面する「親の介護」問題。老人ホームへの入居に抵抗を持つ人も多く、「親の面倒は子どもが見るべき」と親族一同考えがちだ。しかし、フリーライターの吉田潮氏は、著書『親の介護をしないとダメですか?』(KKベストセラーズ)にて、「私は在宅介護をしません。一切いたしません」と断言する。親孝行か、自己犠牲か。本連載では、吉田氏の介護録を追い、親の介護とどう向き合っていくべきか、語っていく。

「長らくお世話になりました、サヨウナラ」

●父、老人ホームのショートステイへ

 

「誰が何と言おうと、施設に入れよう」と決意した翌週、インフル騒動のときに助けてくれたケアマネさんに相談。彼女は父が要介護2になってからのお付き合いだ。私自身はこのとき初めて会ったのだが、頼りになる人だと思った。というのも、彼女はずっと父を見てくれていただけでなく、むしろ頑張りすぎる母を見て、ひそかに心配していたという。ああ、やはり看破(かんぱ)していたのだと思った。

 

ケアマネさんの訪問時には、面談という形で父も話すが、母も話す。おそらく母は「夫はまだ大丈夫です。それに私がまだ健康ですから、何でもできますから」と言い続けていたのだ。プロはそういうところも、ちゃんと見抜くんだよね。

 

まずは、介護認定の区分変更申請をお願いする。そして、ホームに入居させたいと伝えた。彼女もすでにリサーチ済みで、現状で可能な提案をもってきてくれた。

 

家から徒歩10分ほどの特別養護老人ホーム(以下「特養」とも表記)で、30日間までならショートステイが可能だという。1泊3食おやつ付きで4000円。30日間で12万円だ(2割負担の金額)。

 

また、お隣の市に今春新設される特養があり、今申し込んでおけば入れる可能性もあるという。多床室(4人部屋)にまだ空きがある。新設の特養に入れるチャンスはなかなかないし、申し込んでおいて後で断ってもキャンセル料は発生しない。

 

父は現状、要介護2だが、今回の件でおそらく1ランクアップするだろうと推測。特養の入居は要介護3以上が条件なので、エントリーだけでもしておいたらどうか、という提案だった。

 

母も私もホーム入居を前向きに、といっておきながら、実際の老人ホームがどんなものか、まったくわかっていなかった。まずは母の疲弊を癒やすためにも、30日間のショートステイで特養がどんなところか、見ておくことに。

 

このときの母は複雑な心境だったようだ。

 

ほぼ初めての体験である独居の寂しさ、自分が陥る生活不安、介護ストレスからの解放感、施設に入れる罪悪感。父への愛と憎しみが日替わりで交互に訪れる精神状態。私と姉は鬼と化し、施設入居を勧め続け、母も最後は納得した。

 

で、当の本人はというと、ショートステイを拒まなかった。

 

おそらく、ショートステイの意味がよくわからなかったのだろう。デイサービスに行くのと同じような感覚だったのかもしれない。ただなんとなく、家族が頻繁に集まって嬉しいけれど、なにやら相談している。

 

自分をどこかに追いやるのかもしれない、という漠然とした不安感は抱いていたに違いない。時折、寂(さび)しさを言葉の端々に匂わせたものの、ショートステイする施設の迎えが来た朝のことは今でも忘れない。「長らくお世話になりました、サヨウナラ」と、父がおどけたのだ。

 

そのときは私も「まあちゃん、何言ってんの!」と笑って返した。でも、その夜。父の言葉を思い出したとき、なぜか泣けてきた。

 

「長らくお世話になりました、サヨウナラ」
「長らくお世話になりました、サヨウナラ」

「ムショメシかよ!」と叫びたくなる特養の実態

●私、介護施設の現状を知る

 

その特養は、とても大きな施設だった。敷地内には同じ経営母体の障がい者の施設もあるし、デイサービスも受け入れている。スタッフの人数も、利用者の人数もかなり大規模だった。

 

頻繁にカラオケや体操などのレクリエーションを催し、利用者を飽きさせない優良施設でもある。地元でも評判は悪くない。職員もベテランが多く、優しくてケアが上手な外国人介護士もたくさんいた。

 

ただ、初めて訪れたときは、正直、衝撃を受けた。

 

食堂に30人以上の老人たちが集っている。何をするでもない。ひとりでしゃべり倒す女性もいれば、目が虚(うつ)ろで、かろうじて呼吸している男性もいる。父と同室の男性は寝たきりで、常に口をもぐもぐと動かしている。落としても割れないポリカーボネイトの器に盛られた粗末な食事を見たときは「ムショメシかよ!」と心の中で叫んでしまった。

 

そして、記憶がよみがえった。実は、老人ホームを訪れたのは初めてではない。17年前の2002年に、私はホームヘルパー2級の資格を取得している。

 

当時は「職業訓練給付金」という制度があって、失業したときに次の職につくための学費を国が8割負担してくれるというシステムだった。現在もこの制度はあるが、給付金の金額も変わり、支給要件はかなり厳しくなっているのかもしれない。私は会社員をやめたときにこの制度を使って何か資格を取っておこうと思ったのだ。そこで、国家試験はないが、通学して3か月受講すれば取得できるホームヘルパー2級を選んだ。

 

介護の仕事を生業にしようとは考えていなかった。ただ、ライターとして「老人ホーム」に興味があったのだ。というのも、ノンフィクション作家の小林照幸(こばやしてるゆき)氏が書いた『熟年性革命報告』(文春新書)を読んで感銘を受けたからだ。

 

当時は介護認定が今ほど厳しくなく、老人ホームには元気なお年寄りがたくさんいて、老人同士の色恋沙汰や刃傷沙汰も起きている、という話が書いてあった。読んで興味を抱いた。人間は老いてなお恋をして男女の関係を結ぶ、ということを確かめたかった。非常に不埒な動機だ。あの頃、私はそういった記事を多く書いていて、界隈の仕事も多かったからである。

 

その資格取得の最終過程で、真夏の特別養護老人ホームを訪れた。3日間の研修である。初日はデイサービスに訪れる老人たちを迎え入れて、手足の爪を切ったり、ご飯を食べさせたり、というライトな任務だった。

 

2日目は入浴介助。次々に運ばれてくる老人の服を脱がせて、浴室で待ち構えているベテラン職員に引き渡し、入浴後のホカホカした老人に手早く服を着させる。汗だくで十数人の老人を着替えさせると、若かった私でも激しく疲労困憊した。

 

3日目は確か日曜日で、訪問する家族もちらほら。家族が来ないおばあちゃんは途端に機嫌が悪くなる。なんとなくその相手をした記憶がある。

 

本で読んだような色恋沙汰など皆無だった。それもそのはず、2000年に介護保険制度が誕生し、特別養護老人ホームの環境がガラリと変わったのだ。元気な年寄りではなく、介護が本当に必要な人が集まる場所となった。

 

あの頃の特養も、確かにこういう雰囲気だった。私が忘れていただけだ。目を逸そらしていただけだ。でも、月額利用料が低めで安定の特養はこういう世界なのかと再び愕然とした。もっとほかにいい施設があるのではないかと考えた。

 

実際、母も特養に対してあまり良い印象をもたなかったようだ。決してスタッフさんや施設に文句をつけているのではない。認知症が進んだ老人だらけの環境を目の当たりにして、父に対する同情が芽生えているのだ。

 

「お父さんはまだあそこまでひどくない……」

 

【次回に続く】

 

【第1回】「かってきたよ゜」父のメールに、認知症介護の兆しが見えた

【第2回】垂れ流しで廊下を…認知症の父の「排泄介護」、家族が見た地獄

【第3回】在宅介護はいたしません…認知症が家を「悲劇の温床」に変えた

【第4回】認知症介護の無力…父は排泄を失敗し、字が書けなくなった

【第5回】多額の年金をおろせない…「認知症の父」が母を号泣させるまで

【第6回】排泄失敗で「ごめんね」…認知症の父の変化に、翻弄される家族

【第7回】認知症の父「捨てるな!」…母、介護疲れで家族の思い出を処分

【第8回】老々介護という牢獄…心が壊れた母、床に転がる「認知症の父」

 

吉田 潮

 

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    吉田 潮

    KKベストセラーズ

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