認知症の父の言動を、真正面から受け止めてしまう母
◆「特養」入所前の16日間戦争~覚悟と諦観編
母からの電話を受け、仕方なく実家へ飛んでいく。問題は父の認知症ではなく、母の対処でもある。いつまでも興奮冷めやらぬ父に対して、苛立ちを募らせた母は暴言で応酬していたのだ。
母の名誉のために書いておく。母は空気をちゃんと読むことができる、まっとうな常識人だ。思想は左巻きだが、上から目線で人を罵倒したり、差別用語で人を蔑むことは決してしない人である。ところが、喧嘩というのは売り言葉に買い言葉。その様子を目の前でライブで観るハメに。止めてもしょうがない。しばし静観することにした。
父「お前は俺を不具者扱いするのか!」
母「不具者がそんな会場に行ったら迷惑かけるに決まってるじゃない!」
と返す。
さらに「不具者を外に出したら家族が訴えられるんだから! そういう事件もあったでしょ!」とまくしたてる母。「外に出ようもんなら、あんたを殺すからね! 包丁つきつけて全力で阻止するから!」。すると、父は「やれるもんならやってみろ! 俺は行く!」と言う。しかし、萎えた下半身を動かす気配は、ない。
そもそもひとりで歩けない父が葬儀に参列できるわけがない。口先だけで、認知症だから明日には忘れてしまう。うんうん、と受け流せばいいものを、母は真正面で受けとめ、売り言葉に買い言葉を展開しちゃったのだ。
というのも、この数日間の介護疲労がたまっていたからである。夜中に何度も起きてトイレに行く父を介助し、朝は尿で汚れた衣類と寝具とポータブルトイレを洗い、3度の食事を作り、風呂に入れて体を洗って、着替えさせる。
さらには、特養入所時に持ち込む生活用品を揃え、衣類に名札を縫い付け……。もし私だったら酒でも飲まないとやってられないと思う。母は悪くない。暴言には驚愕したが、ストレスをためない「認知症との付き合い方」を心得ればいいだけの話。今、流行のアンガーマネージメントにも近いものがある。
私は私で、改めて「在宅介護の弊害」を強く感じた。本来は穏やかな人に暴言を吐かせてしまう。巷でよく報道される老々介護の末の殺人事件も、この延長線上にあるのだと思った。決して他人事ではない。それが介護疲労の悲しい現実なのだ。
とりあえず、父の目の前で弔電を打ってなだめる。漆盆つきで8000円なり(高ッ!)。父はしばらく興奮状態だったが、さすがに娘がわざわざ東京から来て、弔電を打ったことで冷静になってくれたようだ。
父の16日間自宅ステイは、母に「在宅介護は無理」という諦観をもたらした。罪悪感を払拭し、覚悟を決めたように見えたのだが、これ、実は根がとても深い問題だったので、本連載で後々触れることにする。
入所後3か月経てば、そこが「家」だと思うようになる
◆特養入所後の父「3か月が勝負」
2018年3月末。ようやく父が特養に入所した。新築なので、どことなく建材のニオイも残っている。でも糞尿のニオイよりはましだ。入所者もまだ揃わず、施設内に活気はない。介護士はいるものの、体制もまだ完璧ではないようだ。
初めの頃、「部屋の掃除も行き届いていないなぁ……」なんて、めざとい小姑のように思っていたのだが、実は違っていた。なんと父が汚していたのだ!
部屋にポータブルトイレを置いているのだが、なぜかトイレットペーパーやティッシュがちぎられ、山のように積んである。紙縒(こよ)りを細かくちぎったようなゴミは、部屋の床に無数に散っている。清掃員はちゃんと掃除してくれていたのだが、父自身が汚していたことが判明した。
謎の行動はまだある。携帯ラジオのイヤホンコードが1センチ幅に切り刻まれ、ベッドの上に無残に散っていた。なんなの、このちぎり癖は? 施設にいることを理解できず、心の叫びを表現してみた新種のアートなのか? 引き出しにハサミを置いていたのがまずかった。そしてこれは凶器にもなりうると気づき、持ち帰った。
もちろん父に理由を聞いてもわからない。目くじら立てても仕方ない。掃除すれば済む話だ。心は広く、部屋は清潔に。クイックルワイパーを部屋に備えつけることにした。
母は2~3日に1度、私は10日に2度の割合で施設を訪れる。最初は、父が慣れるまで頻繁に行こうと決めた。母の友人から聞いた話では「施設入居は3か月が勝負」だそう。3か月いれば、そこが家だと思うようになる、それまでの辛抱だという。心強い。
ただし、ちょっと不便な場所にあるのがネックだ。母は自転車とバスで通うが、バスの本数が少なく、時間通りに来ない赤字路線である。バス停で40分待ったこともある。これが母の気持ちを削いでしまう。私は電車とバスで片道1時間半。自分が生まれ育った地なので、ちょっと郷愁・旅気分。確かに面倒臭いが、そんなに苦ではない。
施設に行って何をするかというと、歩行訓練と手足のマッサージ、ひげ剃りや歯磨きのケア、トイレ介助に紙パンツ交換。差し入れの果物や甘味を食べさせることもある。新聞や雑誌も持参するが、父が記事の内容を把握できているかどうかは微妙だ。
それでも新聞を持っていくと、喜んで開く。父の目線を追ってみると、記事を読んでいるというよりは、見出しの文字を確認して、読める字を探しているようなフシもある。私が連載しているコラム記事を見せても、中身はわからないようだ。ちょっと残念。
【次回に続く】
【第1回】「かってきたよ゜」父のメールに、認知症介護の兆しが見えた
【第2回】垂れ流しで廊下を…認知症の父の「排泄介護」、家族が見た地獄
【第3回】在宅介護はいたしません…認知症が家を「悲劇の温床」に変えた
【第4回】認知症介護の無力…父は排泄を失敗し、字が書けなくなった
【第5回】多額の年金をおろせない…「認知症の父」が母を号泣させるまで
【第6回】排泄失敗で「ごめんね」…認知症の父の変化に、翻弄される家族
【第7回】認知症の父「捨てるな!」…母、介護疲れで家族の思い出を処分
【第8回】老々介護という牢獄…心が壊れた母、床に転がる「認知症の父」
【第9回】「サヨウナラ」認知症の父を老人ホームに入れようとしたら…
【第10回】年金「23万円」の認知症の父…施設探しで、経済的な壁に唖然
【第11回】認知症の父の絶叫「俺が死ぬのを待っているのか!」に母は…
吉田 潮