認知症の父から「人間らしく生きること」を奪ったのか
◆私の中の罪悪感
介護のプロ・ケアマネージャーの説得で、あっけなく認知症の父の在宅介護を諦めた母。その日の夜、叔母(母の妹)に電話をしている様子を見ていて、私は戦慄を覚えた。
「今はまともなお父さんが3割で、今後もっと減るって、ケアマネさんが話してくれてね」
嗚呼、母よ、それは私が言ったんだけどな。父の介護問題は、実は「母の老化」を確認できるバロメーターでもあると気がついた。ま、諦めてくれてよかったよ。
実はもうひとつ、極めつけの秘策がある。
私も母も日記をつけている。私は5年日記、母は10年日記である。1ページに5年分、10年分書き込めるので、後で見返すと毎年同じ日に何をしていたかがわかる。「2年前も去年も同じことをしてたんだなぁ、人間って変わらないもんだなぁ」と諦めもついたりする。
私はこの顛末を本にしたいと初めから目論んでいたし、実際に日刊ゲンダイで連載もさせてもらった。そのための資料として、日記は有効活用できる。私だけでなく、母にも協力してもらおうと考えた。「介護の苦労を書いた部分を読み返して、正確な日付を教えてほしい」と伝えた。母に過去の日記を読み返してもらう。
「(夫が)いつか寝たきりになったら、おいしいものを作って、わざと遠ざけて食べてやる」
「(夫に)鼻クソや目ヤニをわざとつけられて殺意を抱いた」
「来る日も来る日も尿臭、絶望」
などの記述を反芻(はんすう)させた。さすがの母も、思いとどまったようだ。最終的には「在宅介護はもう無理ね」と母に言わせたのだ。もうね、そんな自分を褒めてあげたい。
さて、私の中の罪悪感もゼロではない。実はレオナルド・ディカプリオの映画『シャッターアイランド』を観ていてつらくなった。離島の精神病院(凶悪犯罪者のみ収容)に捜査で訪れた刑事が、実は自身が精神病だったという話だ。「なぜ自分がここにいるのかわからない」と訴える姿が父と重なる。
人間らしく生きること、それを私が奪ったのではないかと考えてしまった。
エンタメを楽しめなくなるのはよろしくないし、悲観的なことばかり口にするのも周囲に気を遣わせて迷惑だ。まず、できるだけホームを訪問すること。職員の心証もよくなるし、手も抜かれないはずだ。あざといが、お菓子などの手土産も時折渡す。
そして、父の日常に刺激を入れるために、週2回の訪問マッサージを導入。1回20分で約600円。施設以外の他人と接する機会を増やし、優しい女性の有資格者に施術してもらうので、父もちょっとは心華やぐだろう。私の罪滅ぼしは、父の「快」の感情を増やすこと。それしかない。
介護とは「お金」と「罪悪感」。このふたつとどう付き合っていくか、に尽きる。
介護に「家族愛」「罪悪感」は不要と悟っていた姉
◆救いだったのは姉の冷静さ
自分と母がいかに父の介護と向き合ったか、を一方的に書き綴ったが、実は姉・地獄(私は姉をこう呼んでいる)の存在が大きい。父が愛してやまない長女は、この10年、父の問題行動を最も冷静に見つめてきた。愛も憎しみも幾星霜(いくせいそう)、我慢と滅私が美徳の母とは異なり、姉は情と離れて、きわめて現実的に物事を見る人でもある。
というのも、姉が2008年に帰国してからというもの、父は何かにつけて姉のところへ行っていた。自分が生まれた土地であり、墓守娘となった姉が愛おしくて仕方なかったのだろう。頻繁に、しかもひとりで訪れる父を、姉は鬱陶(うっとう)しいと思っていたようだ。そして数日間滞在する父の姿を見て、早くから老化を目の当たりにしていたのである。
父は、姉の家に来ても何をするわけでもない。姉の家庭菜園の手入れや、庭の草むしりを手伝うわけでもない。逆に、しなくていいことを勝手にし始めるので、ほとほと困ったと言っていたこともある。
姉が住む家は普通の住宅ではなく、ログハウスだ。外側のデッキは定期的にニスを塗って腐食を防がなければいけない。
あるとき、父が珍しく張り切って「ニスを塗る」という。手にハケを持って、やる気満タンだ。しかしその数日は雨続きで、デッキは全体的に湿っている。乾燥してからでないとニスを塗る意味がない。姉はやんわりと「乾いてからやろう」と言ったのだが、父はまったく引き下がらず、外に出て勝手にニスを塗ろうとしたらしい。
「塗る!」「まだ!」の口論がいつしかつかみ合いの喧嘩となり、父と姉は大立ち回りを始めたというのだ。手にハケを持って、柱にしがみついた父を全力でひっぺがそうとする姉。母はドキドキして見守っていたが、「お互いに殺し合うんじゃないかと思ったわ」という。
このほかにも、姉が畑で「苗を植えるにはまだ早い時期だから、やらないで」と言ったことがある。ところが、父は勝手に畑に入って、植えようとしたらしい。「やるな」と言ったことをやろうとして、「やって」と言ったことをやってくれない。怒り心頭の姉からメールがきたこともあった。「あれは完全に認知症だよ」と姉が言い放っていたっけ。
そして、その父を甘やかす母に対しても、姉は手厳しかった。「あの人も言うこと聞かないし、どっちもボケ老人だよ!」と吐き捨てていた。ふたりが姉の家に来るときは、「老人たち襲来」と辟易(へきえき)するメールもきた。
「認知の歪みが激しく、言うことを聞かない」頃の父を知っている姉は、呆れを通り越して早々に諦めていたのだ。父の糞尿処理を何度も経験し、介護に「家族愛」だの「罪悪感」だのは不要、と悟っていたのだろう。
一度、姉もたまりにたまって暴言を吐いてしまったようだ。おそらく「早く死ねばいいのに!」といったような言葉だったらしい。それを聞いていた母が「親に向かって、この子はなんてひどいことを言うのか」と驚愕して傷ついたという。
もうすべてが後日談ではあるのだが、姉が教えてくれたのは、「自宅介護は憎悪を生むだけ」ということだ。今回の父のホーム入居も「必然」と捉えていた。
世間でよく聞く話は、兄弟姉妹間の親の介護に対する温度差があり、不和と憎悪を生むというやつだ。一方は「自宅介護するのが子供の責務!」と抱え込み、一方は「ホームに預けたほうが健全!」と喧嘩する。あるいは、親の介護のなすりつけあい。
「うちは子供が受験で、まだまだ金がかかる。結婚していないんだから介護もやってよ」
「仕事が忙しくてそんな時間はない。働いてない人がやってよ」
などと、独身や子供がいないほうが負担を強いられたりするケース。住んでいる距離によっても不満は出る。近くに住んでるほうがやらないで、遠くに住んでいるほうがまめに訪れるなど。さらには、誰が手を出すか、金を出すか、その負担の割合で確執が生まれる話もある。
その点、姉はきっちり俯瞰し、オブザーバーというか司令塔に徹している。金は出さないが、必要な情報は入手して教えてくれる。甘い言葉は一切信用しない。情けも容赦もない。いつも先を見据えた発言をする。だからうまくいった。
母は情に弱すぎる。私も現実を知らずにどこか理想主義で甘っちょろいところがある。シビアな姉がいてくれて、本当に良かったと思っている。
そんな姉だが、老人の扱いが実にうまい。ホームに訪れたときに、他の入居者と陽気にしゃべって、妙に場を和ませたりもしている。身内に厳しく、他人に優しい。
父の今後、母の現状で気になったことがあれば、姉に報告・連絡・相談するようにしている。ま、でも基本的に姉も気まぐれなので、電話もメールもSkype(スカイプ)チャットも、ガン無視されるときがある。それはそれで彼女の特性なので、仕方ない。
【次回に続く】
【第1回】「かってきたよ゜」父のメールに、認知症介護の兆しが見えた
【第2回】垂れ流しで廊下を…認知症の父の「排泄介護」、家族が見た地獄
【第3回】在宅介護はいたしません…認知症が家を「悲劇の温床」に変えた
【第4回】認知症介護の無力…父は排泄を失敗し、字が書けなくなった
【第5回】多額の年金をおろせない…「認知症の父」が母を号泣させるまで
【第6回】排泄失敗で「ごめんね」…認知症の父の変化に、翻弄される家族
【第7回】認知症の父「捨てるな!」…母、介護疲れで家族の思い出を処分
【第8回】老々介護という牢獄…心が壊れた母、床に転がる「認知症の父」
【第9回】「サヨウナラ」認知症の父を老人ホームに入れようとしたら…
【第10回】年金「23万円」の認知症の父…施設探しで、経済的な壁に唖然
【第11回】認知症の父の絶叫「俺が死ぬのを待っているのか!」に母は…
【第12回】「包丁つきつけるから!」認知症の父に母絶叫、介護疲労の壮絶
【第13回】認知症の父が入所してわかった、「介護施設の思わぬ真実」
吉田 潮