認知症で表情が柔らかくなった父に、感動する母
◆父、1年半で3階級昇格
私の夫は年1回、元日だけ私の父に会う。夫いわく、「最初はコワモテだったけど、ここのところ表情がどんどん柔らかくなってきた」そうだ。父は俳優の石橋蓮司(いしばしれんじ)に似ている。顔も頭髪も。テレビで蓮司を見るたびに、親近感を覚えていた。ただし、蓮司はセクシー、父はボケジーである。
認知症で表情が柔らかくなると聞いたことがある。「まあちゃん、笑って」と言うと、満面の笑みを見せるようになった。パブロフの犬化、成功。これには私の腹黒い魂胆がある。
今後、介護施設に入り、スタッフさんから愛されるには笑顔と感謝の気持ちが大切だからだ。さらに「ごめんね」と「ありがとう」をちゃんと口にすること。父の施設入居を想定し、笑顔と謝意の訓練をしておこうと、ひそかに考えていたわけだ。
しかしだ、昭和初期生まれの男どもは至れり尽くせりの妻に「ごめんね」「ありがとう」を一切言わない。突然言おうものなら妻たちは天変地異と驚く。
一度父が粗相したときに「ごめんね」と言ったようで、すっかりほだされる母。「生まれて初めてこの人の口から『ごめんね』を聞いたの」だとさ。言っとくが「ごめんね」「ありがとう」は社会生活の基本中の基本ですよ。
さて、そんな父の状況だが、真夏の不法侵入事件を経て、ついに介護認定の区分変更を申請。調査員が家に来て、父の状態を判定してもらうことになった。
まず、3つの絵を見せる。えんぴつ、りんご、ねこ、みたいな簡単な絵だ。この3つを覚えておいてください、と言って、別の質問をふって1分ほど他の話をする。そこで、再び3つの絵のうち、ひとつを隠して見せる。「ここには何の絵がありましたか?」と聞く。たった1分前のことなのに、父は答えられなかった。マジか‼
約3週間後、なんと「要支援1」から「要介護1」に昇格。それでも1か。いよいよ介護の域である。
地域包括支援センターを卒業し、また別のケアマネージャーとの付き合いが始まる。本当なら悲しむべきなのか、でもこれで受けられるサービスの幅が広がるから喜ぶべきか。ただし、区分が昇格すると、基本的な介護サービスに支払う金額もスライド式に上がる。それはつらい。もうなんだかわからなくなってきた。
「廃人」と「賢者」の差に家族は苦しめられる
情け容赦なく父の老化を綴ってきたが、まだ寝たきりではない。食事も全部たいらげるし、ダジャレも飛ばす。時に廃人、時に賢者。だからこそ厄介なのだ。特に、一緒に暮らしている母にとっては、この廃人と賢者の割合が問題だった。
トイレの場所がわからなくなり、冷蔵庫の扉を開けていたこともある。家の中で迷子になるほどボケてきた父だが、面白いことに英単語はよく出てくる。
ある日、実家で葛飾北斎(かつしかほくさい)の画集を観ていた私。「あれ、菊って英語でなんていうんだっけ?」とつぶやいたら、それを聞いていた父がすかさず「クリサンテマム!」と答えたのだ。クイズ番組の参加者レベルで即答。以前、3つの絵のテストで驚異の忘却力を発揮していたのに。
ほかにも「猫を並べて、エサをあげていた作家って誰だっけ?」と母と話していたら、「ダイブツだよ」と、ぼそっと答える。あ、そうそう、大佛次郎(おさらぎじろう)だ‼ ヒントを出せるほど覚えてるんかーい!
そして、父はダジャレが得意だ。あれだけボケて、ウンコを垂れ流していても、ダジャレだけは繰り出す。特に、家族以外の他人がいるときは、ええかっこしいも手伝ってか、ダジャレを連発して笑わせたりもする。何も知らない人から見れば、「お父さん、全然ボケてなんかいないじゃないの~」と思うかもしれない。この廃人と賢者の差が、実は家族を余計に苦しめるのである。
2016年1月に「要支援1」、同年8月に「要介護1」となり、その翌年8月には「要介護2」に昇格した父。1年半で3階級特進。刑事ドラマなら殉職レベルの昇進である。順調な昇格というべきか、驚異のスピードというべきか。
噂によれば、区分変更もかなり厳しくなってきたという。介護が必要と認定すればするほど、介護施設や職員の不足が問題になるからだろうか。そう考えると、父の昇格はある意味、右肩上がりのエリートコースなのかもしれない。モノは言いようだな。
2016年末からはリハビリに加えて、通所介護のデイサービスも行けるようになった。以前、諦めた近所の老人福祉センターである。要介護になると、自宅送迎もつくのだ!
リハビリは男性スタッフが多いが、通所介護は女性スタッフが多い。父は女性が大好きなので、通所介護のデイサービスを心から楽しんでいた様子。ここのデイサービスでは、ランチとおやつがつく。毎回違うモノを食べられるのが、父にとっては何よりも楽しみだったのだと思う。
レクリエーションも各種あり、折り紙で箱を作ったり、唱歌の歌詞を書き写したりと、さまざまなメニューが組まれている。正直、初めは「ずいぶんと幼稚なことをやらせるんだなぁ」と思ったが、思いのほか老人はこれらがうまくできない。案外一生懸命、そして楽しんでやっている。
1日、どんな様子だったか、何をどれくらい食べたか、レクリエーションは何をやったのか、スタッフさんの手書きのレポートも見せてもらえる。ここでも父はダジャレを連発していたようで、スタッフさんからもおおむね好評だったようだ。
【第1回】「かってきたよ゜」父のメールに、認知症介護の兆しが見えた
【第2回】垂れ流しで廊下を…認知症の父の「排泄介護」、家族が見た地獄
【第3回】在宅介護はいたしません…認知症が家を「悲劇の温床」に変えた
【第4回】認知症介護の無力…父は排泄を失敗し、字が書けなくなった
【第5回】多額の年金をおろせない…「認知症の父」が母を号泣させるまで
吉田 潮