多くの中高年が直面する「親の介護」問題。老人ホームへの入居に抵抗を持つ人も多く、「親の面倒は子どもが見るべき」と親族一同考えがちだ。しかし、フリーライターの吉田潮氏は、著書『親の介護をしないとダメですか?』(KKベストセラーズ)にて、「私は在宅介護をしません。一切いたしません」と断言する。親孝行か、自己犠牲か。本連載では、吉田氏の介護録を追い、親の介護とどう向き合っていくべきか、語っていく。

「認知症の父の介護」に忙殺された母は…

母の鬱屈は2018年1月末、思わぬ形で爆発することになる。ある日曜日、父と母が車で外出した。母が運転し、うどん屋へ行ったという。父も歩けそうだったので、車椅子を持っていかなかったらしい。もう、その時点で間違っている。

 

案の定、うどんを食べた後、父はどうにもこうにも動けなくなった。足が動かないのだ。日曜日のお昼時、家族連れで混雑するうどん屋で母は焦(あせ)った。自力で動こうとしない父にブチ切れながらも、無理やり歩かせて車に戻ったそうだ。

 

が、父は自宅の駐車場で車を降りた途端に転倒し、頭を強打した。この段階で母から電話をもらったのだが、私は非情にも「たんこぶができて腫(は)れてるなら、大丈夫じゃない? 冷やしておけば」とあしらった。いつものことだと思ってしまった。

 

一方、姉は「頭打って、そのまま夜に死ぬ可能性もあるから、今すぐ病院へ行け!」と言ったようだ。母は慌てて救急車を呼び、病院へ。が、検査したものの異常はなかったので、タクシーで帰宅した。

 

ところが、マスクもせずに病院に長時間いたものだから、父はまんまとインフルエンザに感染してしまったのである。1月の病院なんて、インフルエンザも風邪も含めて、ありとあらゆるウイルスが蔓延している場所だというのに! とはいえ、有事の際だったので、母の無知と無謀を責めても仕方ない。翌日、父は高熱で顔が真っ赤になり、手足も動かず、一瞬寝たきりの状態になってしまったのだ。

 

母は娘2人が力になってくれないとわかっていたので、ケアマネさんにSOSの電話を入れた。このケアマネさんが本当に素晴らしい方で、家に駆けつけて、救急車を呼び、おまけにベランダの洗濯モノまで取り込んでくれたという。

 

おかげで、父は点滴を受けて、大事に至らずに済んだのだった。ケアマネさんの迅速な対応と尽力によって、父の熱はすぐに引いた。

どす黒い内出血をしながら、父が床に転がっている

母はほとんど風邪をひかない人だったので、私もたかをくくっていた。もっと正直に言えば、私が行ってインフルエンザをうつされるのもイヤだなと思っていた。

 

その週はテレビ番組の打ち合わせと収録、友人宅での飲み会、埼玉でインタビュー取材、連載の締切2本に確定申告の準備など、いろいろと予定が詰まっていたからだ。とにかく母にマスクと手洗いを徹底しろと電話で冷たく伝えたのだった。

 

その2日後の夕方。母から電話がきた。弱りきった声で「もう絶望感しかないの」と、電話口で泣き出した。そこで母のインフルエンザ感染を知る。家庭内感染。

 

東京から千葉へタクシーをすっとばして実家へ。マスクとジュース、プリンやビタミンゼリー飲料などを買い込んで、夜10時前に到着。そこで見たのは、高熱で疲労困憊の母と、毛布をかけられて、床の上に転がっている父だった。かすかに小便の匂いもする。

 

よく見ると、父の首の周りにはどす黒い内出血がある。顎(あご)の下全体が本当に真っ黒になっていて、衝撃を受けた。介護に絶望した母が、渾身の力で父の首を思いっきり絞めたのかと思った。違った。

 

薬のおかげで熱は下がったものの、手足にまったく力が入らない父は転倒し、ベッドの手すりに顎を強くぶつけたのだ。床に転がった父を高熱で朦朧(もうろう)とした母は助けることもできず。老々介護の限界を目の当たりにした。本当はずっと前から限界だったのだ。

 

「ごめんよ、母……自分のことしか考えなかった娘を許してちょうだい」なんて殊勝(しゅしょう)なことを言って涙を流すと思ったら大間違いだ。

 

これを機に、私は心の中で父の施設入居を決意した。誰が何と言おうと、施設に入れようと思った。このままでは母が苦しむだけだ。いや、十分な介護をされない父もかわいそうだ。私も自宅介護をする気はさらさらない。翌日は取材が入っていたため、ひとまず父をベッドに寝かせて、母を落ち着かせてから帰宅した。

 

母はずっと限界だった
母はずっと限界だった

「怒り」と「悲しみ」と「情けなさ」で母の心は壊れた

◆母、崩壊する

 

その翌々日。再び実家へ様子を見に行く。母はまだ微熱があるようだが、父はすっかり熱も下がって元気になったという。1週間近く入浴していないから、ちょっと手伝ってほしいと言われた。

 

父は私が買って持って行ったおにぎりやら甘味を、もちゃもちゃと食いちらかしている。高熱で奪われたエネルギーを取り戻そうとしているかのごとく。ただ、足はまだおぼつかないようで、ふらふらしている。おかしいというか、腹立たしいのだが、そのとき母はなぜか赤飯を炊いていた。

 

「え? 今、それ、必要?」

 

確かに赤飯は私の大好物ではあるが、インフル患者がメシ作って、こっちにうつったらどうすんのよ? 40後半の娘に対して、母性なんかいらないから!

 

母は母で、いろいろと買い込んで、駆けつけた私に「申し訳ない、何か御礼を」と思っていたようだ。余計な母性と気遣いにイラッとするも、ここ数日間の母の疲弊と絶望感を思えば、ぐっと飲み込むしかない。

 

その後、父を風呂に入れるも、案の定自力で立ち上がることはできない。母とふたりで七転八倒しつつ、なんとか父の体をさっぱりさせるミッションコンプリート。ホカホカしてスッキリした父。私もこれで家に帰れる。

 

その夜。帰宅した途端、母から再び電話が入る。トイレで大きな音がしたので行ってみると、壁と便器の間に父が挟まっていたという。便座に座ったものの、体重が妙なところにかかって、温水便座自体が便器から外れてしまったのだ。

 

10年近く使っていた温水便座は、経年劣化もあり、そろそろ取りかえ時だったのだろう。トイレでの父の様子を見ていると、まず便座に腰掛けるのだが、ちょうどいい位置に1回では座れない。毎回ズレて座る。

 

普通ならば、一度立ち上がってポジションを整えるだろう。しかし、脚力の弱った父はそれができない。というか、しようとしない。横着して、便座の上で尻を移動させる。そのせいで、常に便座はギシギシと音を立てる。度重なる父の体重移動を一身に受けてきた便座は見事に壊れた。その勢いで父も尻から落ちて、壁との間に挟まったのだ。

 

母は急いで業者に電話をかけ、新しい便座が明朝に届く手配をした。14万円かかるとのこと。父の体の状態を心配するよりも、金がかかることを忌々(いまいま)しそうに語る。

 

しかし、母の怒りの源はそこではなかった。挟まって自力で立ち上がろうとしない父を叱咤しつつようやく立ち上げ、ベッドまで連れて行った母。すると、急に父は難なくヒョイと立ち上がって、ポータブルトイレに座って排尿したのだという。

 

「インフルエンザはすっかり治っているし、自分でも立ち上がれるのに、なぜ甘えるのかと思うと、もう腹が立って腹が立って……」

 

電話口で怒りと悲しみと情けなさを訴える母。私は自分の決意を伝える。

 

「もう施設に入れることを視野に入れて、前向きに検討したほうがいい。あなたの今後の人生が、夫への恨みつらみで埋まってしまうよ」

 

母は電話口で泣き始めた。崩壊したと思った。母よ、もう頑張らなくていい。

 

【次回に続く】

 

【第1回】「かってきたよ゜」父のメールに、認知症介護の兆しが見えた

【第2回】垂れ流しで廊下を…認知症の父の「排泄介護」、家族が見た地獄

【第3回】在宅介護はいたしません…認知症が家を「悲劇の温床」に変えた

【第4回】認知症介護の無力…父は排泄を失敗し、字が書けなくなった

【第5回】多額の年金をおろせない…「認知症の父」が母を号泣させるまで

【第6回】排泄失敗で「ごめんね」…認知症の父の変化に、翻弄される家族

【第7回】認知症の父「捨てるな!」…母、介護疲れで家族の思い出を処分

 

 

吉田 潮

 

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    吉田 潮

    KKベストセラーズ

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