定年後を成功している人は何が違うのか?
■周りから敬愛される人間、されない人間
「士族の商法」という言葉があります。
明治維新後、特権的な立場を失った旧武士が商売を始めるのですが、一部を除いてほとんどが失敗してしまいます。ご存じの通り「士族の商法」はこれを揶揄した言葉です。彼らは時代の大変化に対応できず、偉そうに振る舞いました。少し前までは身分が劣るとされた農業、工業、商業の従事者が、「お客さま」であることを受け入れられなかったわけです。それでは、ビジネスがうまくいくわけがありません。
笑い話のようですが、けっして他人事ではありません。
「先生」「社長」などと崇められ、誰にも頭を下げたことのない人間が、地位を退いた後も同じマインドでセカンドステージに臨んだために失敗した例をよく耳にします。
大学の医学部教授を定年で退いた後、クリニックを開業したものの失敗したとか、サラリーマン社長が起業したけれども頼りにしていた下請け企業や取引業社にソッポを向かれてあえなく倒産など枚挙にいとまがありません。「自分に比べれば地位、能力、実績の劣った人間が成功しているのだから」と安易にトライしたわけです。
しかし、成功者と比較すると、新しいステージにトライするための決断の時期、マインドの強さ、そして準備の周到さにおいて、雲泥の差があります。
成功する人はひと言でいえば、確かな助走を経て踏み切っているのです。
成功者はなによりも「素人」「初心者」としてのマインドで新しいステージに乗り出したのです。
「『偉そう』を捨て、謙虚に誠実に」などというと、きわめて抽象的な物言いになってしまいますが、仕事で成功を収めたり、豊かで愉快な人間関係を築いたりするためには、忘れてはならないポイントです。
政治家、実業家、文化人、芸能人はもちろん、一般の社会においても「偉そう」で成功を収めているかのように見える人は確かにいます。しかし、彼らが豊かで愉快な人間関係を紡いでいるとは思えません。なぜなら、彼らは周りから敬愛されていないからです。
打算、忖度だけに囲まれた人生を送った人間がラストステージで見る風景は、殺伐としたものなのではないでしょうか。
和田 秀樹
ルネクリニック東京院 院長