すべてのパラ選手の「個」と向き合う
■「社会が障がい者をつくっている」
一ノ瀬メイさんは、9歳の時、スイミングスクールに入ろうと申し込みに行ったら、入会を断られました。右手の障がいが理由でした。
先天性の右前腕欠損症。右腕はひじから先がありません。
「ただ、ただ、悔しかった」
一ノ瀬さんはその時、初めて自分が障がい者だと知ったと言います。高校3年の時、英語スピーチの全国大会で自分の右腕を指して、「I have a short arm」と切り出し、大切なメッセージを伝えました。
「社会が障がい者をつくっている。社会が障がい者をつくり出すなら、その社会が障がい者をなくすこともできるはず」と言います。
その後、一ノ瀬さんは2016年リオデジャネイロ・パラリンピックの水泳日本代表になりました。この時、メダルは遠かったけれども、世界で戦えるパラスイマーに成長しました。
「私の目標は東京パラリンピックで表彰台に上がることです」
一ノ瀬さんは、自分のレースを見てもらうことで、障がい者に対する社会の認識が変化していくことを願っています。
「障がい者」というジャンルと「健常者」というジャンル。この区分が必要なのかどうか、一ノ瀬さんは問いかけてきます。
■「障がいは身体の特徴」すべての選手の「個」と向き合う
「世界で勝てる選手を育てたい」
峰村史世さんは、2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックの水泳で日本代表監督を務めました。
パラスポーツの多くは義足や車いすなどが必要ですが、パラ水泳は何も使いません。選手がその身体とその能力だけで戦うところが魅力だと言います。
峰村さんは「選手それぞれの身体の特徴を最大限に生かし、最大限の能力を引き出すことを選手と一緒に追求してきました」と言います。
「選手が無理だと思っていても、できない、ではなく、できることを最大限に活かすという考え方を大切にしています」
障がい者も健常者に負けないくらい頑張ることができるといった比較の発想ではありません。「障がいがあるのにすごい」と周囲に思ってもらいたいという発想もありません。その選手が勝つために何ができるのかだけをシンプルに考えてきたそうです。
鈴木孝幸選手は2008年の北京パラリンピックで金メダルを獲得しました。峰村さんは当時、日本代表チームのヘッドコーチ。
「彼が持っている残存能力のすべてを使い切るために、2人であらゆる挑戦をしました」
鈴木選手は峰村さんのアドバイスを参考に、自分で考えて懸命にトレーニングをしました。
「私は彼に指導者として育ててもらいました」
健常者の水泳の一般論は通用しません。選手の身体の特徴によってやり方が全員異なるため、指導方法の定型がないのです。必要なのは、オーダーメード型の指導法です。そうやって、すべての選手の「個」と向き合うことが、パラ水泳の魅力だと峰村さんは語ります。
「やっぱり、世界で勝ちたい」
峰村さんの思いは変わりません。峰村さんは監督ではなくなりましたが、鈴木選手は2021年の東京パラリンピックで100メートル自由形の金メダルをはじめ、出場した5種目すべてでメダルを獲得しました。
岡田 豊
ジャーナリスト
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