戦争の背景には経済的な問題が内在している
■日本の国債を米国の投資家が積極的に引き受けた理由とは
戦争と経済の関係が密接ということは、戦争の原因もまた、多くが経済的なものであることを示しています。
冒頭でクラウゼヴィッツの『戦争論』の一節を紹介しましたが、政治や外交も、最終的には経済的な問題に行き着くことがほとんどです。ということは、戦争は最終的に経済活動の延長線上に存在することになります。
戦争の直接的な原因は外交交渉の結果であったり、何らかの事件だったりするわけですが、その背景には必ずといってよいほど、経済的な問題が存在していると考えるべきでしょう。
イラク戦争が石油利権の確保を目的として遂行されたことはよく知られている事実ですし、北朝鮮問題の背景には、朝鮮半島に眠る鉱物資源や北朝鮮が市場開放した後の企業進出利権が存在しています。
最近話題となっているミャンマーの民主化も同じ文脈で考えることができます。
ミャンマーの軍事政権は旧日本軍との関係が深く、ある意味でミャンマーは、当時の戦争が、今も続いている国です。
ミャンマー改革の象徴であるアウンサンスーチー氏はビルマ建国の父と呼ばれたアウンサン将軍の娘です。ミャンマーはもともと英国の植民地でしたが、独立運動が起こり、太平洋戦争を挟んで日本が介入するなど、しばらく政情が安定しませんでした。戦後、ようやくミャンマーは独立を実現しますが、アウンサン将軍は独立の日を迎えることなく暗殺されてしまいます。
つまりミャンマーの軍事政権は、軍事政権の内部抗争と、英国、日本の利害が複雑に絡み合う状況だったわけです。
最終的にスーチー氏は英国に渡り、英国人の夫と結婚。その後は民主化運動のリーダーとしてミャンマーに帰国します。
スーチー氏は、単純に民主化を実現するためだけに、ミャンマーに戻ったわけではありません。スーチー氏の活動の背景には、ミャンマーの市場開放をにらんだ、欧米企業の利権が大きく関係しています。つまりミャンマーの民主化プロセスは、半分は「お金」の話というわけです。
こうした視点を持って、日本の過去の戦争を眺めてみるといろいろなことがわかります。日露戦争の前後、日本政府が発行した国債を米国の投資家が積極的に引き受けたのは、ボランティアというわけではありません。
戦争終了後、日本が獲得する満州のビジネスチャンスについて、パートナーとして利益をシェアしたいという意向があったからにほかなりません。
具体的には、満州の鉄道経営に始まり、鉱山の開発や工場の建設、都市インフラの構築など多岐にわたるビジネスが想定されていたはずです。
さらに重要なことは、米国は、日本に対して、ロシアなどの帝国主義からアジアを解放させるための役割を期待していたという事実です。
欧米各国は、民主主義の価値観を広める活動と、市場開放、つまりビジネスの話をセットで進めていきます。つまりミャンマーにおいて欧米各国がスーチー氏に対して期待する役割と、当時の日本に対して期待する役割は、実は似ていたのです。
実際、米国側からは満鉄などの経営を両国でシェアするプランが提示されたといわれています。しかし日本側はこの提案を蹴ってしまい、このことが最終的には米国との戦争の遠因になったともいわれています(桂ハリマン協定)。
この協定が本当に戦争の遠因になったのかについては様々な意見がありますが、戦争と経済という視点で考えれば、日露戦争の最大の功労者であった米国と、満州経営に関してパートナーシップを組まないという日本の決断は、やはり非常識な選択ということになるでしょう。
こうしたパートナーシップに対する不信感が、最終的に対日感情の悪化につながった可能性は否定できません。
加谷 珪一
経済評論家
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