太平洋戦争の敗北理由は「お金」と「技術」
グローバルな金融システムをフル活用した日露戦争と正反対だったのが、太平洋戦争の戦費調達です。日本はそれまで友好関係を保っていた英米と中国政策をめぐって対立。最終的には太平洋戦争という形で全面戦争に突入してしまいます。
■満鉄自慢の情報処理システムは米IBM製だった
太平洋戦争では、グローバルな金融システムの中核となっている英国と米国の両方を敵に回してしまいましたから、日本は国内で資金を調達するしか方法はありません。しかし、当時の日本は今ほどの経済大国ではなく、戦費の調達にはかなりの困難が伴います。最終的に選択されたのは、日銀が無制限に輪転機を回すという方法であり、その結果は、敗戦と準ハイパーインフレでした。
多くの歴史が物語っているように、戦争とは経済活動そのものです。戦争が始まる前から、その国の経済力によって戦争の勝敗はかなりの部分まで決まっています。また経済力はその国の技術力とも密接に関係しており、経済力の弱い国が、高い技術力を持つことは現実的に不可能です。日本と米国には、当時、かなりの体力差がありましたから、当然、テクノロジーに関する格差も相当なものでした。
日本は当時、満州に進出しており、南満州鉄道(満鉄)という国策会社を運営していました。満州は日本の生命線と位置付けられ、満鉄には日本が誇る世界最高水準の技術や経営管理手法が導入されていると軍部は宣伝していました。
しかしその実態は、宣伝とはだいぶ様子が異なっていたようです。
満鉄の車両には、当時としては非常に珍しい冷房装置が搭載されていましたが、その冷房装置の原型を製造したのは日本企業ではなく米国企業でした。現代風の言葉でいえば“パクリ”です。また満鉄本社には、最新鋭の情報処理システムが導入され、伝票管理が機械化されていました。「東洋の誇り」と謳われた満鉄の経営管理システムですが、そのシステムを納入していたのは何と米IBM社でした。
つまり日本はこれから戦争しようという国に、多くの技術を依存してしまっていたわけです。客観的に見て、このような状態で戦争に勝てる可能性は限りなく低いでしょう。
このように書くと、日本にはゼロ戦や戦艦大和など優れた技術がたくさんあったという反論が出てくるかもしれません。しかしここでいうところのテクノロジーというのは、職人芸的な技を持っているという意味ではありません。
社会全体として、システマティックにテクノロジーを使いこなせるのかが重要であり、それができなければ、ビジネスはもちろんのこと、ましてや戦争に勝つことなど不可能です。
ゼロ戦は確かに高性能な戦闘機ですが、米国は、スペック的にはゼロ戦に劣るものの、堅牢でコストが安く、メンテナンスが容易で安全性の高い航空機を大量投入してきました。パイロットの育成もシステム化されており、乗務員の個人的な能力にできるだけ依存しないような体制が組まれていたのです。
テクノロジーというのはこのようなことを指します。非常に残念なことですが、当時の日本のテクノロジーは米国と比較して大幅に遅れていたというのが実態です。
最大の問題は、そうした指摘がありながら、その声が無視され、最終的な意思決定に生かされなかったことでしょう。
日本は戦後、驚異的な経済成長を実現し、技術大国と呼ばれるまでになりました。
しかし、基本的な体力差を直視しない、職人芸的な技を過大評価し、システマティックな部分を軽視する、現状に対する批判を社会として受け入れない、などの風潮は、今の日本にも時折見られるものです。こうしたムラ社会的な風潮は、他国との争いにおいて必ずマイナス要素となります。私たちは、同じ失敗を繰り返さないようにしなければなりません。
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