日英間に存在した金融システム構築の実績
■英国から大量のハイテク兵器を導入
当時の英国は覇権国家ですから、テクノロジーの面でも世界最高水準でした。
日露戦争の勝敗を決定づける要因の1つとなった日本海海戦では、日本の連合艦隊とロシアのバルチック艦隊が対馬沖で戦い、日本側が勝利を収めています。
この時、日本の連合艦隊の旗艦となったのは「三笠」という船なのですが、これは英国ヴィッカース社製の最新鋭の戦艦です(三笠は太平洋戦争後、米国の支援によって横須賀に保存されましたので、今でも見学することができます)。三笠は、今でいうところの最新鋭の米国製イージス艦といったところでしょう。また日本の艦船が燃料として用いたのは、やはり英国製の高級無煙炭で、煙が少なく視界を邪魔せず、機関を高出力で運転できるという特徴がありました。
つまりロシアに勝つためには、ハイテク兵器を英国から大量に調達する必要があり、ロンドンで外貨を決済することが大前提だったわけです。
英国の金融システムとの連携がこれほどスムーズに進んだのは、実はその前から、日本と英国との間に、金融システム構築に関する実績があったからです。そのきっかけとなったのは、1つ前の戦争である日清戦争の戦後処理です。
日清戦争は、朝鮮半島の支配権をめぐって清(中国)と日本の間で勃発した戦争です。
歴史の教科書などを読むと、日本は日清戦争の勝利で得た清からの賠償金を元に金本位制を開始したと書いてあります。しかし、厳密にいうと、この記述は正しいものではありません。
清からの賠償金は当初、「銀」で支払われる予定でしたが、清には日本に支払うだけの銀がありませんでした。このため清は、当時の覇権国である英国に対して外債を発行、賠償金相当額のポンドを借り入れて銀を購入し、日本に支払うつもりでした。
しかし、大量の銀を一度に清が購入すると、銀価格が暴騰し、国際的な銀市場が混乱してしまいます。また、大量の銀地金を日本に移送しなければなりません。これではコストもかかりますし、盗難や事故のリスクも抱えることになります。
そんな中、清からの支払い方法が銀から英ポンドに変わり、英ポンドを金とみなす、という手法が浮上しました。結局、日本政府は賠償金を英ポンドのままで受け取り、これを金地金と同じ価値があるとみなして金本位制をスタートさせたのです。しかも、そのポンドは日本ではなくロンドンのシティに預金されていました。
これは今の時代に当てはめれば、日本政府がドルをウォール街の銀行にたくさん預金しているので、これを担保に日本円を発行したことと同じになります。国家の金融システムの根幹を担う金準備が、実は金ではなくポンドという紙切れで担保されており(一応、ポンドと金の兌換は保証されていますが)、しかも、そのポンドは日本政府が管理できない英国の民間銀行に保管されていたのです。
グローバルな金融システムを否定する人からみればとんでもないと憤慨するかもしれませんが、現実に明治政府はこうしたやり方で通貨制度をスタートさせ、それをうまく軌道に乗せています。
当然、英国の金融システムとは密接な関係が構築されることになりますから、これが最終的には日露戦争に対する英国の支援や資金調達につながっていくわけです。当時の明治政府の指導者は、グローバルな金融システムの仕組みを十分に理解していたと見てよいでしょう。
加谷 珪一
経済評論家
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