
北海道で地道にビジネスを展開していた豆菓子店。父から会社を承継した2代目社長は、中国から押し寄せてきた安価で大量の「バターピーナッツ」にシェアを奪われ、存亡の危機に陥りました。しかし、新たな主力商品の開発で再起。なんとか売り上げが戻って来たところ、2回目のピンチを迎えます。次のライバルは、「本州の菓子メーカー」でした。
参入障壁が壊れ、本州の菓子メーカーが「競合」に
試行錯誤を重ねながら、どうにか復活の兆しが見えてきました。新商品を作り出すという使命ができ、お客さんの意見が聞ける接点ができたことで、日々の仕事にやりがいが感じられるようになり、社内の雰囲気も活気づいてきました。
売り上げも少しずつ回復し、黒字に戻りました。バターピーナッツを諦めたとき、10億円ほどあった売り上げは最終的に3億円に減りました。しかし、焼カシューが主力商品として順調に育ち、新たに開発した菓子類も、ヒットとまではいかないまでもコツコツと売り上げを生み出し、売り上げは6億円くらいまで回復しました。
全盛期と同程度とまではいきませんが、従業員は日々、忙しくしています。仕事がない時期に工場を整理したことで、生産効率は以前より良くなっていました。
「このままいけば完全復活も遠くない」
そんなふうに考えていたところに、次の危機がやってきました。本州の大手メーカーによる北海道進出です。
本州メーカーが北海道市場に進出してくる可能性は、私が目を向けていなかっただけで、常に脅威として存在していました。私はこの時もまだ、道内メーカーと本州メーカーの間には物流コストが高いという参入障壁があると思っていました。しかし、2000年前後から物流網が全国に広がるとともに、設備や技術の発達によってコストや時間の問題が解消され始めました。
また、北海道進出に向けた本州メーカーの準備も水面下で着々と進んでいました。納入先が少ないと輸送コストがかかります。そこで本州メーカーは、大手の営業力を駆使して納入先を増やしていきました。大量に輸送できるようになれば、コストが削減できるのです。
また、大手の資本力で道内に工場を作るメーカーもありました。現地生産ができるようになれば、地の理による価格競争力や納入までのスピードは道内企業と同等になります。
こうなると参入障壁は一気に崩れます。結果、小売店などでは本州メーカーの商品が急速に増えました。我々が問屋から受ける注文も減っていきました。気づけば「本州だから」「遠いから」といった理由で目を向けていなかった会社が、物流の発達によって急に競合他社になっていたのです。
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