「北海道産の材料で新しい菓子を作りましょう」…新商品開発チームに呼びかけ、北海道の企業として独自性を打ち出していくことにした豆菓子店二代目社長。北海道の人々が豊かな自然を誇る気持ちと、北海道の食材を生かすというコンセプトが合致しました。自慢の地域でとれる、自慢の食材を生かし、自慢できる菓子を。菓子作りの情熱が高まっていきます。

思いを受け継ぐかりんとう事業

新しい商品群は「創作豆」と名付け、北海道の原材料を生かし、道民に愛される菓子を作ることをコンセプトとしました。自社ブランドの取り組みは着々と進み、オリジナル商品で、北海道庁主管の北海道加工食品奨励賞を受賞することになりました。

 

ホームランは出ませんが、着々とヒットが出ます。北海道の原材料を大事にする地場のメーカーという方向性が明確になり、問屋からは焼カシューや新商品の注文が増え始めました。

 

そして、業績回復に向けて動き始めたこのタイミングで、私の会社はかりんとう事業を引き継ぐことになります。かりんとうを製造していたのは、江別市の浜塚製菓です。

 

浜塚製菓も、私たちと同様に半世紀以上にわたる歴史があり、先代社長と父は仲良しでした。

 

浜塚製菓の社長と父の仲が良かったこともあり、私も浜塚製菓の二代目と仲良くしていました。しかし、その後、後継者であった息子さんが突然の交通事故で他界してしまいます。そこで先代のころから技術交流があった私たちにかりんとう事業を引き継いでもらえないかと打診が来ることになったのです。

 

タマゴボーロを継承した時と同じで、商品が増えるのはうれしいことです。かりんとうは小麦粉が主な原料ですので、地域の農家からの仕入れ拡大にもつながります。

 

ただ、そのような戦略的なことよりも、私にとっては亡くなった息子さんを偲ぶ気持ちが大きく、それが事業を引き継ぐと決めた大きな理由です。併せて、私が引き受けないと廃業すると言われた働く方々を思うと断る理由はありませんでした。

 

事業や会社にかける思いがあり、従業員、取引先、お客さんとともに実現したい夢もあったはずです。これは単なる事業の引き継ぎではありません。友人の思いを受け継ぎ、次の世代に伝える責任です。そのようなことを考えて、私は事業を引き継いだ後も浜塚製菓の名前を残すことにしました。

 

これで手持ちの武器は、焼カシューを含む豆菓子類、タマゴボーロ、かりんとうの3種類になりました。この時私は所謂「日本の伝統駄菓子」と縁のある環境で生かされていると実感しました。

農家と協業でWin-Winを目指す

会社の方向性が見え始め、業績回復も実感できるようになったところで、私はもう一つ仕掛けました。それは、我々だけで菓子作りに取り組むのではなく、地域の会社なども巻き込みながら、グループとして北海道の豆菓子を盛り上げていくことです。

 

自社ブランドを持って経営を安定的に成長させるという目標は変わりません。しかし、そのための方法を考えていくうちに、我々の力だけで取り組むより、協力者を増やしたほうが良いと考えるようになったのです。自社ショップを持った経験から、より多くの人から意見を聞く重要性は分かっています。新商品を考える際も、たくさんの意見をもらったほうが美味しい菓子ができる可能性が大きくなります。

 

また、私たちの事業は菓子業界内の事業であり、北海道という市場内の事業です。美味しい菓子ができたとしても、業界や市場が衰退してしまうと売れるはずのものも売れなくなります。売り上げを安定させるためには、事業の基盤である業界と市場が強固でなければなりません。

 

特に重視したのが農家とのつながりです。私の会社は菓子メーカーですから、原材料がなければ何もできません。農家と手を組めば、我々は原材料を安定して仕入れることができます。農家は売り上げが増え、Win-Winの関係が構築できます。

 

また、地域産の原材料の調達比率を高めれば、輸入の原材料に頼る場合と比べて原材料調達の不安定さを解消できます。為替リスクも抑えられますし、調達先を分散することで原材料の相場変動リスクも抑えやすくなります。

 

ピーナッツの例を振り返ると、事業が立ち行かなくなった原因は、中国産ピーナッツが国産より安かったことと、現地でバターピーナッツを生産できるようになったことで、価格競争が激化したことにありました。輸入の原材料に頼っている限り、カシューナッツやアーモンドなどでも同じことが再び起きる可能性があります。バターピーナッツと同じ轍を踏まないためにも、地元の原材料を使う菓子作りは戦略として非常に重要です。

 

そのように考えて、原材料の仕入れ先である農家も、競合の菓子メーカーも、道内や札幌市内の経済活動を支える行政も巻き込み、地域全体で成長できる体制を作ろうと考えたのです。

 

異業種連携によって地域経済の発展を目指す地域全体でスクラムを組むために、私は「札幌圏豆くらすたあ」という組織を作りました。「くらすたあ」はクラスターのことです。コロナ禍においては集団感染というネガティブなイメージがついてしまいましたが、産業界では経営学者のマイケル・ポーター氏が考えた産業発展のための政策を指します。

 

具体的には、生産者、加工業者、消費者などさまざまな立場の人や会社が連携し、相乗効果を生む体制作りのことです。私が考えたのは、大豆を扱う会社を結ぶ業界内外の連携と、北海道内の組織という地域内連携を前提とした、大豆のクラスターの形成です。

 

札幌圏豆くらすたあを組織するにあたって、まずは札幌市役所を訪れました。市役所に事務局の役目を持ってもらい、つながりがある農業組合、卸業者、企業を増やしていく戦略です。

 

重要なのは、私の会社のような個別の企業が中心となるのではなく、規模が大きい組織に中心的な役割を担ってもらうことです。なぜなら、コネクションが多い企業が中心になることにより、札幌圏豆くらすたあの会員企業が増えやすくなり、活動範囲も広がりやすくなるからです。

 

また、原材料の供給者となる農家にもヒアリングを行い、Win-Winの関係を構築していくためのポイントを探りました。

 

そこで分かったのは、輪作への対応がポイントということです。

 

北海道の農家では、一つの畑で栽培する作物を1年ごとに変えていく輪作を行っています。これは土の栄養バランスを調整し、毎年、安定して生産を続けるための施策で、例えば、十勝地域の多くの農家では、小麦、甜菜、馬鈴薯、豆類の4種類を順番に栽培しています。

 

Win-Winとなるためには、我々も輪作の順番を踏まえて、その年に多く栽培している食材を中心に商品開発していく必要があります。そうすることで、農家は栽培した作物を安定して提供でき、我々も原材料を安定して仕入れることができます。協力農家が増えれば作物のバリエーションが増えますし、我々のような加工業者が増えればさらに多くの作物を消費できます。

 

このようなヒアリングと調整を行い、札幌圏豆くらすたあは2000年に発足しました。

 

当初は、大豆農家1軒と、大豆の関連業者15社の組織でしたが、その後、農家の軒数は10軒、20軒と増え、会員企業数も20社、30社と増えました。

 

この取り組みによって、北海道の原材料を使う菓子作りが、地域経済の活性化に結びついていくことになります。そして、北海道産食材の普及に貢献した点が評価され、2015年に農林水産大臣賞を受賞する大きな取り組みへと育っていくことになったのです。

 

池田 光司

池田食品株式会社 代表取締役社長

 

 

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