廃業する製菓会社から「タマゴボーロ」事業の継承を決めたことで、経営者として自信をつけた豆菓子店の2代目。やり手だった先代社長亡きあとも営業に奔走します。しかし、取引先で自社商品の扱いが次第に少なくなっていることに気づき、愕然。中小企業の社長の存在感を痛切に感じることになります。

経営者の交代で痛感した「自社商品取り扱い」への変化

タマゴボーロの継承を決めたことで、私は次期経営者として少し自信がつきました。一つ任務を終えたことで、二代目のプレッシャーから解放された気になった、といったほうが正確かもしれません。

 

バターピーナッツ事業はいずれ諦めることになるでしょうが、その代わりに、焼カシューとタマゴボーロという新たな武器が手に入りました。これらをどう扱い、どう組み合わせれば会社を成長させられるのかは見えませんでしたが、武器が増えたことによって「危機が来てもなんとかなるのではないか」と楽観的に思えるようになりました。

 

そんな中、鋭い感覚と行動力で会社を率いてきた父が他界します。1984年、父70歳、私が36歳の時でしたが、喪失感に苛まれる暇はありませんでした。二代目となった私にはこれからの会社を引っ張っていく使命があります。

 

日常が大きく変わりました。やることが増え、決めることが増えます。経営の意思決定だけでなく、現場である工場も大事にしたかったため、余計にやることが山積みになっていきました。

 

この当時、私は営業にも奔走していました。その中で、ある変化に気がつきます。それは、飲食店や問屋向けに納品していた商品が、他のメーカーの商品に切り替えられるケースが増えるという変化でした。理由は分かりません。ミスをしたわけでもなく、味も価格も従来通りです。この時に私が考えた結論は「経営者が変わったから」ということでした。

 

中小企業は、良くも悪くも社長が大きな影響力を持ちます。取引先との信頼を築くのも経営者ですし、販路を拡大するのも、品質や価格を管理するのも経営者です。当時のお客さんは、先代である父が築いたお客さんでした。その父が他界したことで、お客さんとの結びつきが弱まったのだろうと考えたのです。

 

そう考えると、私の責任は重大でした。新たなお客さんを開拓する必要がありますし、既存のお客さんに継続して取引してもらえるように、品質を維持し、価格を管理する必要もありました。特に重視したのは品質です。食の品質は消費者の安心と安全に関わる重要なポイントだからです。

 

工場を見渡してみると、品質管理の専門部隊はありません。そこに課題意識を持った私は、以降、品質管理に重点をおく経営へとシフトしてゆくことになったのです。

 

 

池田 光司

池田食品株式会社 代表取締役社長

 

 

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