黒字化を達成したワケ
大崎はそういう状況のなか、日銀出身の佐藤晃一(さとうこういち)のあとを継いでオークラ初の生え抜き社長となった。シティホテルで最大の収入源だった宴会需要は雲散霧消し、レストランの接待需要も一気にしぼんだ。宿泊需要も急減したので、稼働率優先で単価を下げざるをえなかった。
客室はつねに清掃し空気を入れ替えておくことが必要で、そのためには安売りしてでも回転させておかなければならない。さらに対ドル為替レートは95年に100円を割りこみ、80年代半ばとくらべて150円近くの円高となって訪日旅行需要も激減した。社長就任のタイミングとしては最悪で、貧乏クジといってもいいくらいだ。
97年になって、大崎は自ら「会長・社長の70歳定年制」を取締役会に諮ってそれを採決させる。前任者が院政を敷き、影響力を残していては経営スピードが鈍るという判断からである。
グローバル経済の荒波に揉まれる日本企業は、経営判断がもたついていては競争からすぐに置いていかれる。大崎はそう判断したのだ。そして99年、6期ぶりの最終黒字を達成したのを機に、自らそれに従って相談役に退いた。
大崎は、野田岩次郎の信奉者である。経営トップとなっても設計や意匠にまで細かく口をだすあたりはうり2つで、野田が海外ホテル視察でえた情報を設計委員会に逐一送って煙たがられたように、大崎もまたパブリックエリアの改装、客室の新デザイン導入でこと細かに注文をだして部下たちを困惑させた。
法人依存体質からの脱却を図り、新規需要を掘り起こさねばなければならなかったこの時代、多様な価値観を持つ個人客に対していかに内装デザインや商品が訴求できるかが最重要テーマだった。だから大崎も必死だったのだ。
本文注
1) 「ホテルオークラ社長大崎磐夫(下)」日経流通新聞1999年2月11日付
2) カシオ計算機ホームページ「カシオの歴史」
永宮 和
ノンフィクションライター、ホテル産業ジャーナリスト
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