ホテルオークラの創業者一族である大倉家の興亡を通して紐解く、激動の昭和史。――終戦から6年、焼け野原からの復興を目指す日本で、GHQによる公職追放の解除が発表された1951年(昭和26年)。それは、政界の鳩山一郎、河野一郎ら、戦前日本の中心にいた大物たちが再び表舞台へと動き出す狼煙だった。この日、公職追放を解かれた一人に、大倉喜七郎がいた。戦前、巨大財閥を築き上げた大倉家の御曹司であり、帝国ホテルの経営にも深く関わってきた彼は、追放によってその地位を失っていて……。本稿では、ノンフィクションライターの永宮和氏の著書『ホテルオークラに思いを託した男たち』(日本能率協会マネジメントセンター)より、公職追放解除という時代の転換点を背景に、大倉喜七郎がたどった道筋をみていく。
「旧支配者」復活の狼煙…政財界を揺るがす公職追放解除の衝撃
1951年(昭和26)8月6日。この日の東京は、6年まえの玉音放送のときのように太陽がじりじりと照りつける真夏日だった。札幌でも6日連続の真夏日となるなど、日本全国がとにかく暑かった。
日本政府はこの日、第二次公職追放解除(1万3904人対象)の報告がGHQからもたらされたと発表した。これに先立つ6月20日には第一次解除があり、これで、戦争犯罪対象の特別高等警察(特高)や思想検察の346人を除くほとんどの公職追放者の処分が解かれた。
第二次解除の対象者名簿には、政界では鳩山一郎(はとやまいちろう)、松野鶴平(まつのつるへい)、河野一郎(こうのいちろう)、経済界では渋沢敬三(しぶさわけいぞう)、小林一三、五島慶太、言論界では正力松太郎(しょうりきつたろう)、緒方竹虎(おがたたけとら)という錚々たる面々の名があった。そして大倉喜七郎の名もそこに含まれていた1)。
この年は1月3日に初のNHK紅白歌合戦が放映され、6月に後楽園球場でのプロ野球試合(大映対近鉄、毎日対東急の二試合)がはじめて実験中継されて、テレビ放送という新時代の娯楽が緒についた。
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ノンフィクションライター、ホテル産業ジャーナリスト
1958年福井県生まれ。ノンフィクション著作に『「築地ホテル館」物語』『帝国ホテルと日本の近代』(いずれも原書房)など。ホテル、旅行、西洋料理などの産業史研究に注力している。本名は永宮和美。
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