ホテルオークラ第六代社長
蒲生※の直属の部下で、開業準備段階に企画部員としてさまざまな営業企画立案に携わったのが、のちに第六代社長(大成観光から株式会社ホテルオークラへ改組後の第三代)となる大崎磐夫(おおさきいわお)である。
※横浜のホテルニューグランドで副支配人を務めていた蒲生恵一(よしかつ)。京都大学を卒業して富士ニューグランドホテル(ホテルニューグランドが山中湖畔に設けたリゾートホテル)に勤務中、米国の名門コーネル大学に一年間留学した。同大学のホテル経営学大学院は、世界のホスピタリティの産業界にとっての最高学府といったところで、ここに学んだ世界のホテル経営者や総支配人は数知れず、日本の業界人にも留学経験者が少なくない。ちなみに蒲生の家は、豊臣秀吉に重用され、利休七哲の武将茶人だった蒲生氏郷(うじさと)の直系の血筋。
ただ、企画部といっても設置当初は部長の蒲生とヒラの大崎の2人だけだった。それで什器備品類の調達、原価計算にもとづく客室や宴会など各商品の値決め、運営企画立案など開業準備業務の多くを担当しなければならなかった。
大崎は相談役に退いていた2006年に「ホテルオークラ開業の頃」と題する社内むけの回想禄(A4用紙で13枚)をまとめている。大成観光入社当初からホテル開業後までに体験した業務内容を克明に伝えるもので、それはときにホテル開業に携わる後続の者たちの参考書となり、励ましのメッセージとなってきたものだ。
ここでは、その回想録から開業スタッフとしての苦闘ぶりを振りかえってみる。
8/23(土)THE GOLD ONLINE フェス2025 SUMMER 連動企画
「THE GOLD ONLINE 川柳コンテスト」作品募集!
※募集期間:6月1日~8月13日