いまの70歳は前期高齢者だが元気
長い年月、悩まされてきたさまざまな人間関係からも解放されます。義理だの見栄だの利害関係だのといった足かせはないのですから、自分が好きな人、一緒にいて楽しい人とだけつき合えばいいのです。
他人に対してやさしくなれます。細かいところにこだわったり、高い要求水準を突きつけることがなくなります。自分ができないことや、周囲の手を借りなければいけないことが増えてくるのですから「ありがたいな」という気持ちが自然に生まれてきます。
誰に対してもやさしくなれるのです。だから「おばあちゃん子」はおばあちゃんが大好きなのです。
ときには威張れます。たとえ暦の上だけだとしても「敬老の日」というのがあります。ある世代を敬う日なんてほかにありません。だから長い人生経験からつかんだ自分なりの判断や考えをもとにして「それはいけないよ」とか「世の中はそういうものじゃないよ」と諭すことができます。相手が納得してくれるかどうかわかりませんが、とりあえず威厳は保つことができるのです。
ひとまずこれくらいにしておきましょう。
とにかく、老いの中には楽になれること、幸せになれることがいくつも用意されています。そういう時間がこれから待ち構えていると気がつけば、老いへの不安も少しずつ消えてくると思います。
■そもそもいくつからが老人なのか
老いのイメージは時代とともに変わってきました。
簡単に言えば、どんどん後ろに延びています。55歳が定年の時代には70歳はもう立派な高齢者でしたが、いまの70歳は区分だけは前期高齢者でも、現役世代といってもいいくらい元気です。
ところが、どんなに寿命が延びても限界があります。長寿というのは昔も今も、100歳を超えた年齢です。百寿者という言葉もありますが、これくらいまで生きれば寿命としてはじゅうぶんという気がします。
でも平均寿命が延びたおかげもあって、自分の老いに対して「まだ先のこと」とか「この通り元気だし」といった過信や油断が生まれていないでしょうか。かつてでしたら70歳ともなれば「私ももう古希か」「友人たちもずいぶん先立ってしまったなあ」という感慨が生まれ、いやでも老いを意識したはずです。気持ちの備えぐらいはできたのです。
ところがいまは、ほとんどの人が「70歳なんてこんなものか」と受け止めます。周りの友人たちもみんな元気です。
でも自立して暮らせる目安となる健康寿命を考えると、「こんなものか」では済まされません。ほんの2、3年で男性は日本人の健康寿命の平均値に達してしまうのです。わずか72 歳が健康寿命と知ると大半の人が驚くはずです。
かりに70代を元気に自立して過ごしたとしても、男性の平均寿命や平均余命を考えると、残りの人生は十数年ということになります。何だか人生終盤の計算ばかりしてしまいますが、何を言いたいのかといえば、「老いなんて先のこと」と楽観している世代にとってもそろそろ備えは必要だということです。
「老いるとはどういうことなのか」
「いま何か備えることはできるのか」
せめてその程度の知識を身につけておくだけで、ある日気がついたり、自分が実感した老いと落ち着いて向き合うことができます。
ところで老人とはいくつからなのでしょうか。
前期高齢者にあてはめれば65歳からになりますが、いまの時代、60代の方には自分が老人という実感はありません。むしろ「年寄り扱いするな」という気持ちのほうが強いでしょう。
70代はどうかといえば、これは「そろそろ」という実感が生まれてきます。「まだ老いは先のことだけど、そろそろ考えたほうがいいかな」という気持ちです。
何を考えるのか。
老いてからの自分の人生です。日々の暮らしも含めて、どう生きていこうかなということを考えます。漠然としていても、「75歳までにやっておきたいこと」「80歳過ぎたらこういう暮らし方をしてみたい」「そのためにいまできることはどんなことだろう」……、といったことを考えるようになります。
つまり、老いてからの自分に目を向けるようになるのです。
そこが老人の入り口ではないでしょうか。70代になったら、自分が老人と呼ばれる年代に達したことを認めてもいいような気がします。