ジャーナリズムの本来の使命とは
■「報道機関」か「マスゴミ」か、ジャーナリズムの使命
大手メディアが「マスゴミ」と呼ばれるようになって、十数年以上がたつでしょうか。私は、この業界で30年余り、仕事をしてきました。自考がいかに大事かを綴った本連載は、私個人の自省の記録でもあり、自らに向けたメッセージでもあります。
30年ほど前、新聞やテレビなどは「報道機関」と呼ばれていました。そこには、社会の役に立っているという使命感や期待感が込められていたはずです。私もそんな使命を担いたいと、記者になりました。
記者になりたいと思ったきっかけのひとつは、『きけ わだつみのこえ 日本戦没学生の手記』(日本戦没学生記念会編、岩波文庫、1982年)を読んだことです。特攻機で敵艦に突っ込む運命を強いられた学徒兵が出陣前に書いた手記を集めた書です。
戦時下の情報統制の中にありながら、戦争がいかに愚かなことか、驚くほど明晰な分析を彼らは綴っています。日本国の将来を憂えながら、親や姉妹、兄弟へのあふれる思いを綴っています。かけがえのない自らの命が無駄に終わると覚悟しながら、日本の行く末を案じ、何がしかの記録を残したいという痛々しい思いを綴っています。
「彼らの死を無駄にしてはならない」
「日本に二度と戦争をさせてはならない」
そんな思いで記者を目指しました。
しかし、どうでしょうか。今の日本は、二度と戦争しない国になったと確信を持って言えるでしょうか。日本は、かつてよりもまっとうな国になったと自信を持って言えるでしょうか。力が及ばない自分の不甲斐なさを省みるばかりです。
いつしか大手メディアは、一部の人から「マスゴミ」と呼ばれるようになりました。「報道機関」と呼ぶ人は減ったかもしれません。敗戦後、アメリカの指導のもと、立て直しが始まったとも言われる日本のジャーナリズムは、成熟できないまま漂流し続けているのではないでしょうか。「社会を良くする」「社会的弱者の役に立つ」といったジャーナリズムの本来の使命を何としてでも果たし続けなければなりません。
「大事なことは、記者の一人一人が実力をつけることであり、そういう記者を自由に活動させることである。どの新聞社にも、組織を超えて仕事をしているすぐれた記者がいる。その記者の仕事は、社に属していながら独立している。そういう仕事がジャーナリズムの世界では大事なのだ」
読売新聞の社会記者だった黒田清さんが著書『新聞が衰退するとき』(文藝春秋、1987年)に残した言葉です。
黒田さんは人間の営みを深く見つめる記事を書き続けました。社会部長となっても志を押し通し、経営幹部とよく衝突したそうです。黒田さんは、記者がジャーナリズムの使命を果たすためには、組織の中で個人がちゃんと力を発揮し、組織側もその個人のパワーを尊重することが大切だと指摘していました。
昭和が終わろうとしていたころ、記者を目指していた大学生の私は、東京・新宿の居酒屋で、黒田清さんと一緒になりました。「自分みたいな人間に、記者ができるんでしょうか」と尋ねた私に、黒田さんは「記者になれ」と声をかけてくれました。あれから30年余り。私は、まだ、黒田さんに胸を張れるような記者になっていません。
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