ガスを6時間も被災地に流し続けた
■こだわりが「既成事実」を覆した、被災地で知った無念の死
1995年1月17日朝。阪神淡路大震災の大きな揺れによって、私はたたき起こされました。当時は共同通信大阪支社の記者。私が被災地の神戸市に入ったのは震災から1週間後でした。
甚大な被害が出た神戸市長田区。ここは、大半のエリアが火災で焼き尽くされていました。1週間たっているのに、火災のにおいが鼻を突きます。大勢の人たちが亡くなった被災地の悲しいにおいでした。
そこで出会った高齢の男性が話してくれました。
「この家のおばあさんは、かわいそうだったよ。倒れた家の下敷きになったまま、炎に呑まれたんだ。みんなで助け出そうと彼女の体を引っ張ったんだが、だめだった。我々の前で絶叫しながら死んでいった。熱かったろうに」
男性の顔には下敷きになった女性を助け出せなかった悔いがにじんでいました。
この地域には消防車がなかなか来ませんでした。当時、被災地に漏れたガスに引火し、二次火災が相次いだのではないかという見方がありました。揺れの直後に停電した電気が、復旧した際、漏れたガスに引火して火災が起きたという見立てです。
しかし、事実として確認されていませんでした。ガス会社はどう対応していたのだろうか。こんな疑問が私に湧きました。
被災地に広くガスを供給していた大手ガス会社は、被災企業としてメディアから同情を集めていました。ガス会社は二次災害を防ぐために被災地一帯のガス供給を一斉に停止させました。
復旧のためには止めたガス管をすべて点検しなければならず、そうした費用に数百億円がかかります。新聞やテレビは、多額の復旧費用がかかる鉄道会社やデパートなどと同様、このガス会社に同情的でした。それが既成事実となっていました。
被災地には大量のガスが漏れ、ガス臭が残っている地域もありました。
なぜ、被災地にガスがたくさん漏れたのだろうか。私の頭の中には、神戸市で焼け死んだ女性のことが浮かんでいました。ガスが漏れなかったら、焼け死ぬことなどなかったかもしれない。こんな想像をしました。
ガス会社や神戸市消防局などを取材。やがて、ガス会社が、ガス業界の自主基準に従わずに、ガスを6時間も被災地に流し続けた事実にたどり着きました。