(※写真はイメージです/PIXTA)

2020年度に学校を30日以上欠席した不登校の小中学生は19万6127人と過去最多になりました。学校は子どもたちの発達障害などを理解するようになりましたが、先生の多くは価値観が変わっていないといいます。ジャーナリストの岡田豊氏が著書『自考 あなたの人生を取り戻す不可能を可能にする日本人の最後の切り札』(プレジデント社、2022年2月刊)で解説します。

フリースクールに通う不登校の子どもたち

■東大→三菱商事→不登校の子らと創る未来

 

不登校の子どもたちに未来を託す。そんな教育改革に挑んでいる人がいます。

 

南手英克さんに初めて会ったのは1999年、石川県白山市でした。南手さんは本名をもじって、南手骨太(なんてこった)と自称。みんなから、骨太さんと呼ばれていました。

 

骨太さんが創ったフリースクール「ワンネススクール」は、廃止された保育園の木造の古びた建物にありました。ここには骨太さん以外に、不登校の子ども3人と、3人の若いスタッフがいました。緑の山々に囲まれた田舎。南手さんがいた東京の職場とは対極にある場所でした。

 

骨太さんは、東京大学を卒業して三菱商事に入社。都市開発の部門でエリート社員の道を歩んでいました。しかし、ある日、立ち止まってしまいます。

 

「このままでは日本がダメになる。世の中が歪んで大勢の人が不幸な方に流されている」

日本の画一的な教育が真っ当な判断を奪い、偏った価値観を植え付けてきたと思うようになりました。会社を辞める時、周囲から奇異な目で見られると思いきや、上司たちは「その考えは非常に良い」と応援してくれたそうです。

 

骨太さんは次元の違う遠くを見つめながら踏み出しました。

 

「世直しの原動力となった幕末の私塾のように若者を育てたい」

 

その時、骨太さんが創ったばかりのフリースクールに来ていたのは不登校の子どもたちでした。しかし、骨太さんは、この不登校の子どもたちを学校から見捨てられたとは思っていません。その逆です。不登校のこの子どもたちが学校を見限ったと考えていたのです。

 

「ワンネススクール」では、ささやかな奇跡が起きていました。私が取材した日、みんなは、サッカーボールで野球のような球遊びをしていました。その時、最年長の13歳の女子が何も言わずに突然、グラウンドを離れてしまいました。

 

通常なら、「みんなでプレーしているのにどこへ行くの?」と問いただすところです。しかし、骨太さんたち大人は何も言いません。

 

しばらくすると、女子は、どこかで1人で遊んでいた7歳の男児の手を引いて連れてきたのです。おかげで男児は自然に球遊びの仲間の輪に入ることができました。

 

「やっぱり、何も言わなくてよかった」

 

骨太さんは後で、ほっとしたようにつぶやきました。彼女が自分で考えて仲間を連れてきました。そして男児は仲間に入ることができ、仲間の輪が広がりました。彼女を見守ったことが彼女の自信につながると考えていました。

 

あのシーンは、骨太さんには、ささやかな奇跡に映ったはずです。彼女は、学校に存在しなかった居場所をこのフリースクールで見いだしたのです。

 

「子どもたちが誰かを幸せにする仕事をしたという便りを聞くことができればいいなと思います。世の中、お金ばかりじゃない」

 

骨太さんはこう語っていました。

 

次ページその常識が本当に必要なのかを考える

本連載は、岡田豊氏の著書『自考 あなたの人生を取り戻す不可能を可能にする日本人の最後の切り札』(プレジデント社、2022年2月刊)より一部を抜粋し、再編集したものです。

自考

自考

岡田 豊

プレジデント社

アメリカでの勤務を終えて帰国した時、著者は日本は実に息苦しい社会だと気付いたという。人をはかるモノサシ、価値観、基準の数があまりにも少ない。自殺する人があまりにも多い。笑っている人が少ない。他人を妬む。他人を排…

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