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再開発が街の繁栄に直結するとは限らない
東京という街の量的な拡大は、すでにその必要性が消えてしまった。しかし、質的な向上はこれからも望まれる。また、質的な向上は「再開発」という名目の下で順次各所で行われている。
渋谷や品川エリアでは、街の容貌が一変するほどの大きな開発が行われている。湾岸エリアは五輪関係の開発が盛んだ。池袋や新宿エリアでも、意欲的な開発が行われている。
2050年の東京では、そういった開発がひと通り終わっているだろう。また、これから計画される開発も終わっていることだろう。それで東京という街の風景は、変わるところは変わる。しかし、変わらないところは変わらない。
私は、街というものは生き物だと考えている。繁栄する街は、ある程度放っておいても繁栄する。そこに人間が上手に手を加えれば、さらに繁栄する。六本木や表参道、代官山などが、そのいい例ではないか。あるいは、やや放置気味の銀座や歌舞伎町といった街も、それなりの繁栄を享受している。
今後、2050年までに再開発される街は多いはずだが、再開発されたからといって、必ずしも繁栄につながるとは限らない。
2020年までは、東京もそれなりに成長してきた。多少へたくそな再開発でも、何とかごまかしが利(き)いたのがこれまでだ。しかし、次の30年は東京という街は収縮期に入る。これからの東京は、再開発の方向を誤れば無残な姿を晒(さら)すだけになるかもしれない。
江東区有明の「虚しい情景」
20世紀の都市設計者が作り上げた街は、東京にもある。そのいくつかは今、私たちにかなり虚しい情景を見せている。その代表例は、東京五輪の競技会場が集中する江東区の有明ではないか。
あの荒漠とした風景を見ていると、心までもが寒々しくなる。人間がゼロから街を設計すると、えてしてああなってしまうのだ。
どこを歩いても楽しくない。延々と同じ風景が続くように思える街並み。いかにも無機質で不自然で人工的な風景である。そうした街で育った子どもは、その風景の中で多感な成長期を過ごすのだ。彼らは大人になった時に、どういう心象風景を持つことになるのだろうか。
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