「先生、ちょっと困ったことになりまして」
帰り際、私と弁護士は駅に向かって歩きながら、レスラーさんのことを話した。「レスラーさん、強がってはいたけども、しょんぼりしてたねえ」私が言う。「奥さんが亡くなったことがショックだったんだろうけど、長男の嫁に厳しく言われたのも効いたんだろうな。まあ、これまでのことを振り返れば、酒をやめるっていうのは当然ともいえる条件だと思うけど」
「そうだなあ。しかし、あの嫁さんは強いな」「ああ、強い」弁護士はそう言い、笑った。「レスラーさんとやり合うなら、あれくらいでなきゃいけない」私もそう言って笑った。
それからしばらくの間、家族の間には何の問題も起きなかった。レスラーさんが飲みすぎ、何かやらかすのではないかと心配したが、意外と大人しく、かつてのように警察沙汰になることもなかった。
事態が大きく動いたのは家族会議から3年ほど経った時のことだった。
「先生、ちょっと困ったことになりまして」次男が電話で言う。彼が社長になってからも経営は順調だった。困ったこととはレスラーさん絡みの何かだろう。直感的にそう思った。「どうしたの?」「父親のことなんですが、先日、ある女性と再婚したようなのです」「え?」私は思わず聞き直した。
「再婚です。私も兄も、父が女性と住み始めたことは知っていたのですが、籍は入れるなと念を押していたんです。しかし、父は言うことを聞かず、入籍してしまったんです」
次男の話によると、相手は近所で小料理屋をやっている女将さんだという。奥さんが亡くなった後、料理ができないレスラーさんは外食中心の生活になった。そのうち、その店の常連になり、女将さんと仲よくなり、一緒に住むようになったのが半年前のことだそうだ。
「引っ越すからと連絡があって、その時に女性と一緒に住むのだと知りました。父はなんだか嬉しそうでした。僕としても父の日々の生活のことが心配でしたし、飲みすぎないように目付役になってくれる人がいるといいとも思っていたので、一緒に住むのはいいことだと思いました」「ただし、籍は入れないようにと伝えたんだね?」「はい。そう約束したのですが『籍入れたからな』と連絡があったんです」