どんな相手をも尊重する“大人”の状態
「みんなが望むから/悪者を叩くのだから」、「同調圧力をかけていい/何をしてもいい」というような発想が一般化することは、大きな問題を内包しています。
なぜなら、他者や多数派を基準にするこうした同調圧力チルドレンが増えることで、“大人”が誰もいなくなるから。
自分の言動に責任を持たなくなる“子ども”だらけと化してしまうのです。
そうなると、より一層世の中に「〇〇が悪い!」「××は変われ!」と誰かを叩く人が増え、その逆に叩かれないように人の目を気にする言動をとる人だらけにもなっていきます。
すると、周囲の目を気にする不安や同調圧力はもっと強くなり、多数派の正義ばかりを押しつける同調圧力チルドレンがますます増殖していく、というような悪循環が広がっていくのです。
とはいえ、この同調圧力チルドレンの状態とまったく無縁でいられる人など、いないと言ってもいいでしょう。
誰の中にも、育ってきた過程において「よいもの」として与えられてきた生きるうえでのルールがあって、それに反するものが現われると反応してしまうようにできているからです。
私の場合も、「自分が同調圧力チルドレンになっているなんて認めたくない!」と思うものですが、たとえば早朝にジョギングをしているときに「あれ? なんであの人はちゃんと信号を守らないんだろう?」と思ってしまっている。
実はこの時点で、「私が同調圧力を生み出している!」ということにもなるわけです。
もちろん、法律等も含めて、一般的に「信号を守っていない人が悪いでしょ!」というルールが存在していることはわかります。
とはいえ、私たち個人が人を正すことのどこまでが正当で、どこからが同調圧力や越権行為になるのか、その線引きを明確にすることは難しいでしょう。
それに、たとえば信号であれば、違反行為を取り締まるのは警察の仕事です。それ以外の人に権限はありませんよね。
であれば、自立できている“大人”としてとれる立場は、安易に他人を叩くことではなく、「信号無視を取り締まるのは私の役目じゃない」と気づけることなのです。
多くの人は他者に介入しすぎていて、圧に流されて知らないうちに同調圧力チルドレンと化してしまっているから、「ヒーロー戦隊」の気持ちになって「あの人は間違っている!」と退治したい気持ちになってしまいます。
でも、そうなってしまったとき、「あ! いま自分は同調圧力チルドレンになっている!」と認められるようになることが、“子ども”から“大人”に成長できるということなのかもしれません。
「他者からの同調圧力」を批判する前に、「自分が発する同調圧力」に気がつくことが、実は同調圧力から抜け出すことの助けになるのです。