苦肉の策?「日本の3氏にノーベル賞」報道
こうしたノーベル賞に日本人は大きな価値を見いだしてきました。世界各国の価値を受け入れることは国際化にも通じ、必要なセンスかもしれません。しかし、他国が決める価値、権威に対し、どこまで傾倒する必要があるのか。そんな斜めの角度からの思考も必要かと思います。
同時に、ノーベル賞以外に、日本人自身が自考して決めた賞や評価に、もっと高い価値を見いだしてもいいのではないかと考えます。
■ノーベル賞を受賞したのは「その人」か「日本人」か
2014年10月、日本人がノーベル物理学賞を受賞することになり、日本メディアは高い関心を持っていました。青色発光ダイオード(LED)を開発、実用化などに貢献した業績が評価された、赤崎勇・名城大学教授、天野浩・名古屋大学教授、中村修二・米カリフォルニア大学教授の3人の同時受賞の発表です。
しかし、中村修二さんはアメリカ国籍を取得していたため、国籍の観点から厳密に言うと、「日本人」と表現しにくい部分もありました。日本国は複数の国籍を持つことを認めていないからです。
アメリカのニューヨーク・タイムズは「アメリカ人1人(中村氏)と日本人2人が受賞」と報じました。一方、日本のメディアは「日本の3氏にノーベル賞」などと報じました。「日本人」を避け、「日本」と表現しました。あくまでも「日本」にこだわった苦肉の策だったかもしれません。
日本人がノーベル賞を取れば嬉しいと思うのは、通常の感覚かもしれません。でも、称賛し、評価すべき対象は、本当は「日本人」でなく、中村修二さん、天野浩さん、赤崎勇さん、という「個人」なのではないでしょうか。
岡田 豊
ジャーナリスト
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