筋トレで戦う相手は自分の気力と集中力
③筋トレはすべてが自分ひとりで完結する世界
筋トレがいいのは、たった確実に自分を変えることができることだ。痩せるとか太るとか、筋肉ムキムキになるとか、ベンチプレスで100㎏を上げるとか、そんなわかりやすいことではない。それは単なる結果で本当はどうでもいい。もっともっと、信じられぬほど小さな変化の喜びだ。
好調なら無論、嬉しい。初めて上げるウエイト、そのシャフトを握った瞬間に感じる「意外に軽い、上がるかも」という喜び。それだけで心が弾む。逆もある。普段は10回、12回上がる重さに8回で潰れる。
「炭水化物が足りなかったのかな。昨日は飲み過ぎたしな、オーバートレーニングかな」と、口には出せぬ小さなことで落ち込む。この気持ちに初心者も経験者もない。ベンチプレス100㎏で戦う上級者も、プレートも付けない20㎏のシャフトだけと戦う超初心者も、まったく同じ地平線、自分自身の限界というなかで喜んだり悲しんだりしている。このシンプルさに感動できる。
④自分の再発見
他のスポーツも、自分との戦いというかもしれないが少し違う。目の前の具体的な鉄の質量が実感として存在する。油断すれば押し潰してくる。一瞬でも気を抜けばたちまち骨を砕いてくる。戦う相手は鉄の塊のように見えるが、実は己の気力と集中力なのだ。そう。向き合っているのは自分自身。自分の心――。
コンテスト大会などを目指すなら、これに過酷な減量が加わる。脂質を抜き、糖質を抜き、体脂肪を5%以下にまで落とす。人間の体として不自然だ。
しかし、こうして筋肉の1本1本を掘り出す作業は、まさに自分自身を削り出す。そこまでのレベルでなく、私のような初心者でも、脂肪に隠れて見えなかった筋肉や血管がかすかに現れてくると少々嬉しくなる。還暦過ぎて、自分に「まだ見たことのない自分がある」と発見するのは喜びだ。
若さというのは極論すればバカということだ。バカだからこそバカ力も出せる。バカだからこそ理屈など考えず「カッコいい体になりたい」でバーベルに向かえる。昔はあなたも多分そうだったに違いない。
歳をとるというのはバカ=無垢な魂を失うということだ。バーベルひとつ上げるにも、あれやこれやの妄想が、山ほどの思考が止まらない。そのくせ体力気力はないから上げる重量はお恥ずかしい限り。でも、無駄な思考や妄想すら楽しめるのが、歳を重ねた者の特権であり筋トレの面白さなのだ。
城 アラキ
漫画原作家
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