トレーナーに高齢女医の一喝
■「そんなことできるわけないでしょ!」
あるワイン会のことだ。Nさんはご夫婦ともドクター。奥様は私より歳は上だから70歳近いはずだ。この奥様、江戸っ子のベランメェ口調で、快活を通り越して超パワフルである。何かの弾みで筋トレの話になった。
この先生、なんとパーソナルのトレーナーについて毎週、筋トレをやっているというのだ。ついにブームはここまで来たか。
「でもそのトレーナーの子が『はいもう1回頑張って』なんて言うから怒ってやったのよ。『そんなことできるわけないでしょ! 無理に決まってるでしょ!』ってね」
トレーナー君の面食らった顔が想像できる。きっと言いたかったろう。
「そのもう1回を頑張らないと筋肉はつきません」
だが、そんな正論など言おうものなら「だったらお前がやれ〜」ともう一度怒鳴られたに違いない。顧客というのはどんなときでもワガママで無茶なものなのだ。仕事とはいえ、トレーナー君もなかなか大変だと、思わず同情してしまった。しかし実は、トレーナー君にも少しの非はある。
■「頑張れ」は励ましにはならない
これはむしろ、これからトレーナーを目指す若い子に言っておきたい。それが筋トレであれ仕事であれ「頑張れ」「頑張ればできる」というのは言ってはならぬことになっている。「頑張れ」という言葉は一見励ましているように見えるが、それはできる自分からできない他者への上から目線なのだ。
ここに上司・部下の上下関係があると、単なる上司の仕事自慢になって部下のいっそうの反発を買う。まぁ年配者が若いときにさんざん言われてムッとしたことも、自分が上司になると昔を忘れてつい「頑張れ」と言ってしまうもんだけどネ。
しかも悪いことに、大概のトレーナーさんは顧客であるトレーニーより若い。子どものような、へたをすれば孫のようなトレーナーからお気軽な励ましの言葉などかけられたくはない。勝気な女医さんではないが「アンタは横で『頑張れ〜』っていうだけで汗のひとつもかかずにお金がもらえて結構ね。死に物狂いで頑張っているのは私の方なのよ〜」と、怒鳴りたくなる気持ちもわかる。
道理が通じる客ばかりなら、サービス業の苦労はない。思うのだが、これだけ筋トレが普及してくるとシニア向けの同世代トレーナーというのもビジネスチャンスかもしれない。ジム経営者のみなさん、ご検討あれ。
その短編集を翻訳して日本でもブームになった短編作家レイモンド・カーヴァーの言葉を村上春樹が自著のなかで紹介している(『職業としての小説家』新潮文庫)。私も、自分が原稿を書くときは、いつも少しだけ頭の隅にこの言葉を置いている。トレーニングするときも同じである。バーベルを握ったら、丁寧に慎重に精一杯のベストを尽くす──。
「時間があればもっと良いものが書けたはずなんだけどね」という同業者の言葉に対して、レイモンド・カーヴァーは次のように言ったという。
「結局のところ、ベストを尽くしたという満足感、精一杯働いたというあかし、我々が墓のなかまで持って行けるのはそれだけである」
そう。しかも年寄りの墓への距離は、若いトレーナー君たちよりずっと近い。君たちのように時間はないのだ。「1回1回、ベストを尽くしたという満足感」を感じられるトレーニングを客に与えるのも君たちの仕事だ。