筋トレには誰もが経験する「重さの壁」
ちなみにこの懸垂だが、最近、逆手懸垂ならなんとか自宅の懸垂バーでできるようになって喜んだ。ところがジムだとできない。悩んだ。バーの太さの問題じゃないのかとか、トレーニングの最初にやらないから筋疲労しているせいじゃないかとか。で、ある日ハタと気づいた。
自宅の懸垂バーにつかまると、足は当然床に着いている。ここから体を持ち上げるのと、ジムで完全にぶら下がった状態から体を持ち上げるのでは、距離にして10〜20㎝。肘の角度でいうならすでに30度ほど曲がった状態から引き上げることになる。「懸垂できた!」はぬか喜びであった。
しかしこのことで、意外な発見もあった。
還暦という言い訳はやめよう。
筋トレのいちばんいいところは、多分この「ぬか喜び」を認めないところなのだ。筋トレには心理的なのか物理的なのか、誰もが経験するいろいろな重さの壁がある。ベンチプレスが最も顕著だ(だからこそいちばん好まれるのだろう)。
初心者の最初の壁は自体重と同じ重さではないだろうか。ちなみにワタシ、大昔から自体重が上げられなくなったら、一切の悪行から縁を切ると、周囲に宣言してきた。宣言通り1回だけだが、自体重はいつ、どんな体重の時代も上げられると思っていた。
ところが正しいフォームでキチンとシャフトを胸につけ、反動を使わず尻も浮かせず上げるとなると、この1回がなかなかできていないことがわかった。なんだ、今まではただ誤魔化していたのかと、これはかなりショックであった。
還暦である。60年生きてきたのである。その結果の今である。自分自身を偽ってもしかたない。必要なのは、誤魔化さずこれを直視するということだ。そこまではいい。しかし、だからといって、ベンチプレスが小学生並みに30㎏、40㎏しか上がらなくてもいいじゃないか……とはとても思えない。ムラムラと腹が立った。
「足るを知る」ことは確かに大事なことだろう。金だ、名誉だ、オネーサンにまだモテたいなんてことならすっぱりと忘れよう。だがベンチプレスで自体重が上がらないのは許せない。意味は少々違うが、自立とは自ら立つことだ。己の体重すら己で差し上げられなくなったら、男としてだらしなさ過ぎる。と、なぜか急にマッチョに目覚める。
しかし思わないか。力がないのは還暦だからじゃない、筋力が不足しているだけなのだ。そして気づく。還暦ごときは言い訳にはならない。
やれば誰でもできる努力を怠ける自分がいるだけなのだと。
城 アラキ
漫画原作家
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