「筋トレの第3の変化」は内面の変化
■「ひとりSMショー」という魅力
ここまでで筋トレには「外見の変化」「力の変化」の二つがあると述べた。これは普通に言われることだ。しかし実はこれ以外にも、もうひとつ筋トレには人を惹きつけてやまぬ理由がある。私を含めた還暦トレーニーにとってはこれがいちばん重要だと思う。
つくづく筋トレというのは「ひとりSMショー」だなと思ってしまう。ムチを持った悪魔が「オラオラ、なにをチンタラやっとンねん。気合い入れてもう一発持ち上げンかい!」。すると天使が「お許しくださいご主人さま。もう無理、これ以上は1㎜だって上がりません」と泣き叫ぶ。
ふざけているようで、誰もがきっとバーベルを握りなら、心のなかではそんな葛藤を繰り返している。大事なのはこれを強制されてやっているわけではなく、自ら望んだ「SMショー」だということだ。それもこれも、相手にしているのが物言わぬ鉄塊だからできること。バーベルにもし人の心が読めたら、恥ずかしくて誰も筋トレなどできない。このとき、大事なことがある。
「諦める」という言葉の元々の意味をご存じだろうか。「諦める」は「明らかに見る」が始まりだった。
筋トレで、もし諦めないと、つまり自分の実力を明らかに見ないと、どうなるか。総合型のジムに行っていた頃だ。ベンチプレスのウォームアップ。最初はシャフトだけを10回上げて、2回目は40㎏を3回、3回目は50㎏を1回。快調だった。ここで一発だけ65㎏を上げておくと本番の60㎏10回が楽になる。要は「今日は余裕だ」と脳が勘違いするわけだ。
ラックからシャフトをはずし、ゆっくりと下げていく。胸につけて上げようとしたら、アレレ上がらない。セーフティーバーはあるからそれ以上に下がって喉に落ち大事故とはならない。とはいえ、シャフトとベンチの間に胸は挟まれ、上半身身動きもならない。ヤバイ!
ズルズルと上体をずらし逃げようかと思ったそのときだ、隣でダンベルカールをやっていた見ず知らずのご老人が、私の頭の後ろに回ってシャフトをヒョイと握って補助し、ラックにバーベルを戻しながら笑って言った。
「無理にでも追い込まなきゃダメだし、追い込み過ぎると潰れるし、筋トレは難しいよねぇ」
はい。おっしゃるとおりです。過信はすべての誤りのもと。恥ずかしい限りです。ついでにアナタを年寄りと侮った我が身の不 遜をお許しください。
バーベルのシャフトを握りながら見えてくるのは、実は自分自身の根性のなさ、頑張りのきかない甘えた性格、それをちょっと誤魔化すインチキな生き方。そのくせ自分にも周りにも見栄を張りたい(だから少しだけ実力以上のウエイトを持って潰れる)どうしょうもない自分だ。
大げさにいうなら自分の内面が現れる。大事なのは、自分自身に諦めをつけることなのだ。誤魔化さずに諦めをつけた上で、今ある自分の実力から常にスタートする。バーベルを前に人は嘘をつけない。上げられるか、上げられないか。その二つしかない。あと1回が粘れるか粘れないか、そのどちらかしかない。つまり正直にならざるを得ないのだ。
筋トレのあとの不思議な爽快感は、神の前で小さな懺悔をした罪人の清々しさと似ている。これが、連載の冒頭に述べた「心の力」だ。
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