中小メーカーとサントリーの取引が始まった
■焼酎事業を観光事業に展開
北薩から少し南に下がったいちき串木野市に、鹿児島の地場産業として最もよく知られる本格焼酎の有力企業がある。1868(明治元)年創業で、昨年創業150年の節目を迎えた濵田酒造だ。
蔵元5代目となる濵田雄一郎社長は、1975年、大学卒業直前の22歳のとき、夏休みで帰省中に社員に請われて、同社に入社している。地域の名士であった父親が「政治で地域に貢献しようと志し、結果、社業が衰退に向かったのです。危機感を抱いた社員幹部たちが、私に帰ってこいと。で、親父と交渉して代表権をくれるなら入社すると条件を付けたんです。親父にとって渡りに船だったかもしれません」と濵田氏は苦笑いする。
こうした経緯をへて、濵田氏は代表取締役専務として濵田酒造の経営の先頭に立つことになる。濵田氏は製造技術を磨き、品質の向上に努める一方、販売面では東京など大市場に向け、積極的な攻勢をかけた。
紆余曲折はあったものの、濵田酒造の販売数量は着実に伸びていった。そうしたなかで総合飲料メーカー、サントリー(現・サントリーホールディングス)との取引が始まった。
当時、まだ鹿児島の一中小メーカーにすぎなかった濵田酒造側が申し入れた提携に、サントリーが応じたと言われているが、このことは酒類業界では驚きの念をもって迎えられた。濵田氏はサントリーとの提携に関して、ごく簡潔にこう語る。
「うちが製造する本格焼酎『黒丸』をサントリーさんが販売する。フィフティ・フィフティの提携関係です。ただあの大企業サントリーさんと提携したことが、当社の製品の評価を高め、販売面でプラスに働いたことは否定できないですね」
現在、濱田酒造の製造販売数量は、鹿児島県内のメーカー中トップに立っている。自社販売ブランド「海童」も有力商品に育っている。濵田氏の時宜を捉えた積極果敢な政策が功を奏しているのだと言って間違いあるまい。
同時に見逃してならないのは、濵田氏の経営のバックボーンをなしている考えである。一つは中小企業家同友会で学んできたことであり、もう一つは鹿児島出身のカリスマ経営者稲盛和夫氏が主宰する盛和塾での学習である。
この点について、濵田氏は次のように自らの認識を語る。
「盛和塾は稲盛氏という個人が中心、同友会は集団で運営してきたという違いはありますが、両者は基本的に同じスタンスだと私は思っているのです。まず中小企業が日本経済、地方経済を支えているという考え方もそうだし、それだからこそ中小企業は土着性を大事にしないといけないという点でも近似しています」
こうした考えを重視する濵田氏だから、入社以来、地元の雇用を大事にし、地元の農家との関係を大事にしてきた。「私が入社したときの従業員数はわずか十数人にすぎなかったが、今はグループ合わせて300人を超えます。私どもの造る本格焼酎の主原料であるサツマイモはすべて県内産。この点でも県内の雇用を守り、経済の発展に寄与しています」と濵田氏は語調を強める。
そのうえで、今後のことをこう語る。
「焼酎ブームが去り、少子高齢化、人口減で厳しい市場環境が続いています。そこで薩摩の、ひいては日本の國酒ともいうべき本格焼酎の海外輸出に腰を据えて取り組もうと考えています。また焼酎事業を単なる製造業としてではなく、地域の『コト』事業として、かつての串木野金山の跡を利用して『金と焼酎』をテーマにした観光事業の拠点として展開し、交流人口を増大することで地域に貢献することも実行に移しています」
記者はかつて、この「金山蔵」を訪れたことがあるが、トロッコで坑道に入っていき、その間、貯蔵蔵や仕込み樽などが見られてなかなか楽しかった記憶がある。濵田氏は郷土薩摩に誇りを持ち、今後の新たな展開にも意欲満々である。
清丸 惠三郎
ジャーナリスト
出版・編集プロデューサー
↓コチラも読まれています
ハーバード大学が運用で大成功!「オルタナティブ投資」は何が凄いのか
富裕層向け「J-ARC」新築RC造マンションが高い資産価値を維持する理由