【関連記事】4万5000人超…なぜこの経営者団体は会員が増え続けるのか
創業は「赤穂浪士討ち入り事件」の13年前
■苦境を乗り越えた、その先に
「老舗は革新の連続こそ求められる」との宮﨑本店会長の宮﨑由至氏の言葉を、今まさに実践しているのが、大阪府東大阪市に本社を置く油脂、食品、洗剤などの専門商社マルキチである。創業は1689(元禄2)年というから、あの赤穂浪士討ち入り事件の13年前。創業の地は商いの本場大阪船場で、現在地に移ったのは1981年のことだ。
社長の木村顕治氏によれば、現在に至るまで扱い商品は変転を極め、「一貫して変わらないのは植物性油脂が商いの中心だ」ということだけ。例えば江戸時代には誰もが用いたびんつけ油は断髪令が出て用途がなくなり、照明用油もガス灯、さらには電灯の登場で市場が消滅した。時代の変化に翻弄されてきた商いと言っていい。そうした渦中にあってもマルキチの歴代当主は新たな商売のタネを見つけ、家業の発展に努めた。
特に戦後、カロリー不足が叫ばれる時代に食用油を扱い始めたことが大きい。「菓子メーカーやレストラン向けなど業務用市場に入っていったことが、戦後の成長のばねになりました」と木村氏。油脂に隣接する洗剤にも手を広げていった。しかし今度は流通革新が前途に立ちふさがる。主な販路である二次卸が次々と店を閉じていったのである。
1962年生まれ。東京商船大学(現・東京海洋大学)を出て大手船会社に勤めていた木村氏が、家業を継ぐために帰ってきたのは94年のこと。すでに売り上げはじわじわ減ってきていたが、売上品目も売り先も多様化していたので、急速に経営が悪化することはなかった。だが社長に就任した2002年、いよいよ苦境に追い込まれる。「この前後が経営的にも、個人的にも一番苦しかったですね」
社員の昇給はできず、ボーナスも払えなかった。一方で銀行からも業務改善計画書を出せと迫られた。とにかく会社の資産を整理するなどできる限りの合理化を行い、この時期を乗り切った。
「希望退職の募集を行わないですんだのだけが救いでしたね」
その後、行き詰まりを打開するために社内に新しい血を入れようと、木村氏は高卒、続いて大卒新人の採用を再開するとともに、新たな商材としてオリーブオイルなどに注目、これをBtoCで直接消費者に売る一方、東大阪市近辺で料理教室などを開いている人に売り込み、口コミでの販売増に取り組み始めた。商材探しに、木村氏自らイタリアのオリーブオイルの有名産地に足を運んだりもしている。今、人気なのはシチリア産の「Rolui」という商品だという。
実のところマルキチはここ数年、売り上げ減が続いているが、利益水準は下がっていない。BtoCビジネスにより粗利率が上がっているからだが、木村氏は「まだまだ利益水準が低い。もっと厚みのあるビジネスにしていかないといけない」と口元を引き締める。
「ちゃんとした仕事を後継者に残さないといけない」という気持ちも、先代から言われているわけではないが、300年企業の経営者としては強く自覚している。会社を残すことはまた、木村たち大阪同友会の会員がいま取り組んでいる、地域の若者に仕事を残すこと、地域を元気にすることをも意味している。
■誠実さと真摯な姿勢が企業を永続させる
市場環境の変化、市場の縮小に関わっていかに生き残るかに向き合ってきた会員企業のケースを見てきた。しかし企業の存続を揺るがす条件は多様である。特にここ10年余りの日本は神戸・淡路、東日本、そして熊本と大規模な地震や、地球温暖化に起因すると考えられる50年とか100年に一度とかの未曾有の大暴風雨など、自然災害により企業の経営基盤が揺るがされる事態が多々起きている。
すでに東日本大震災に見舞われた東北三県の同友会企業のその後の奮闘ぶりはすでに記したが、最後にもう一社そうした事態に直面しながら、企業存続に全力を注いでいる同友会企業を紹介したい。岡山同友会の代表理事を務める山辺啓三氏が経営するまるみ麹本店がそれである。記者が山辺氏に会ったのは、(2018年)8月2日、倉敷市郊外で開かれた岡山同友会の第20期・社員共育大学の懇親会の場であった。
向かい合って座ったことから、何気なく「7月上旬の岡山・広島地方を襲った豪雨ですが、山辺さんの会社には被害はありませんでしたか」と尋ねたところ、「それが……」と、以下のような話を聞かせてくれたのである。