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教育システムの全部がおかしくなっている
日本で近代教育制度が導入されたのは、明治5年(1872)のことです。江戸時代を通じて各藩や地域の教育を担ってきた藩校や寺子屋がそれぞれ中・高等教育、初等教育の土台となって支え、中央政府が国民の教育を統括する形が整備されていきました。
明治10年(1877)4月には最高学府として東京大学が設立され、当初、法・理・文・医の四学部制でUniversityとして出発します。Universityの訳語に「大学」が当てられたのは、古代律令制の時代から学問を司る府として大学の語があったからです。
明治20年(1887)には学位令が制定され、日本での学位称号の規定ができました。翌明治21年(1888)5月、日本で初めて博士号が授与されます。対象となったのは25人の学者でした。欧米の技術や制度を輸入して追いつこうという時代に、日本で科学技術や最先端の制度などの研究の第一人者と最初に認められた人たちです。
現在、高等学校を卒業した後に大学へ進学する人がとても増えています。文部科学省の「学校基本調査」によれば、令和2年(2020)度の数値で高校を卒業した後に何らかの高等教育機関へ進学する人は83.5%にのぼり、大学の学部進学率は過去最高の54.4%となりました。
1970年代から大学への進学率は概ね継続して増加を続けてきました。1980年代から大学進学熱が過熱化し、90年代にかけて団塊ジュニア世代と呼ばれる出生数の多かった世代が高校を卒業する頃になると、私立大学でも早稲田や慶應、明治、立教などの合格倍率は20倍を超えるところも出始めました。
現役合格できなければ浪人をして予備校に通い、それでも合格できない狭き門だったので、大学に合格すること自体が目的化してしまう傾向も強まっていきます。その後少子化が進み、不合格率が極めて低下したことで「大学全入時代」と呼ばれる現在に至り、大学のあり方について問題も多くなってきています。
少し前までの大学は、半分遊園地のような状態でした。みんな遊びに来て、学位を取って卒業するようなことが続いてきました。最近は出欠確認も厳しくなり、少しはマシになりましたが、今度は教える側にも10年前や20年前と同じことを教えているという問題が出てきました。
教える側が内容の更新や工夫もなく、学生たちは出席日数のために大学に通って、それで単位を取得して卒業していくわけです。これでは大学自体の質も下がっていきますし、学生もまともに勉強できないので、大学を卒業した人材の質も担保できなくなってしまいます。
基本的には、大学卒業資格は国内の学制の中でもっとも高い水準の教育を受けた証明です。
企業が優秀な人材を獲得する指標でもあります。このため、現在の学位さえあればよいという問題は、大学が果たすべき機能を十分に果たしているのかが怪しくなっているという意味なのです。
大学に多くの人たちが進学するようになり、今度は高校の問題も出てきます。「大学に入るための勉強をするところ」という意味合いが強くなっていますが、「高校に通う生徒たちは大学での教育を受けられるだけの学力を高校教育で得られるのか」ということです。日本の教育制度の中で大学の位置付けが非常に曖昧かつ、最高学府という本来の目的にはあまり役に立たないものとなっているため、教育システムの全部がおかしくなっているのです。