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「誠実」に「素直」に言葉にしようと心がけよ
■「誠実」と「素直」がポイント
お笑い芸人のように、みんなで騒ぐときに気の利いたジョークが言えるとか、人のいじり方がうまいとか、楽しく場を盛り上げる術を知っているとかいうのも、ひとつの能力でしょう。だから人が寄ってきて、輪の中心でいられるのです。
でももし、その人と一対一で深い話をしようとしたとき、とたんに会話が続かなくなったり、居心地悪そうにしていたりしたら、どう思うでしょう? 魅力は半減してしまいますよね。
いくら「人気者の騒ぎ上手」でも、一対一で語り合えなければ、ただそれだけ。人と「わかり合う」関係は築けません。そういう人は、「コミュ力」はあるかもしれないけれど、「コミュニケーション能力」はないわけです。
現代は、「コミュニケーション能力」がなくても、「コミュ力」さえあれば、なんとなく「偉そう」「格が上」に映ってしまうという、おかしな社会です。
それなら、「コミュニケーション能力」があれば、「コミュ力」がなくても、同じような評価を受けてもよさそうなのに、そうはなりません。「ダサい」「格下」みたいに見られてしまいます。
しかし、実際のところ、「友達が多い」「仲間が大勢いる」という状況を求めなければ、「コミュ力」(=空気を読む力、嫌われない力)なんて、あまり必要ないのです。自分への信頼感や自信を育み、人生を豊かにしてくれる友人関係を築くには、むしろ「コミュニケーション能力」を磨くほうが100倍大事。
「コミュ力」を全否定するわけではありませんよ。それはそれであるに越したことはないでしょう。
でも、「コミュニケーション能力」がないのに、「コミュ力」だけで人生の荒波を乗り切っていこうとするのは問題です。
「コミュ力」はしょせん、仲間内でしか作用しないもの。ちょっと違う場に行くと、そのノリでは通用しなくなってしまったりします。それこそ、外国人とコミュニケーションするときなんて、まったく関係なくなってしまう。
でも、「コミュニケーション能力」なら、どんな場、どんな人に対しても有効に作用します。相手が受け入れられるように自分の考えをしっかりと主張できるというのは、異なるソサイエティに行っても「自分」が「自分」でいられる力を身に付けているということです。
本連載のあちこちで紹介してきたように、自分の頭でものごとを考える練習をしているうちに、自分ならではの考え方や価値基準ができてきて、「自己主張」というのはできるようになります。
価値基準を確立する効用というのは意外と大きなもので、ひとつ自分なりのモノサシができると、それを他の事柄にも応用できるようになります。それが自分なりの考え方を作るということ。
そして、そうやって「自己主張」するときには、「コミュ力」のことなんて考えず、ただ「誠実」に「素直」に言葉にしようと心がけるだけでいいのです。言葉を飾ったり、相手によく思われようとする必要はありません。
「誠実」に「素直」に、相手と対等の立場で、自分を信頼しながら伝える。これがアサーティブネスの方法です。
アサーティブネスに興味のある方は、本がいくつか出版されていますので、学んでみるのもおすすめです。私の推薦図書は、アン・ディクソンさんの『第四の生き方―「自分」を生かすアサーティブネス』(つげ書房新社)です。