【関連記事】元バレエ教師「29歳で医学部へ」精神科の研修で覚えた違和感
29歳で医学部に入った医師の「PSM」だった幼少期
私が医師を志して医学部に入学したのは、29歳のときです。といっても、何年も大学浪人を繰り返していたわけではありません。
中学時代に不登校になり、高校を中退して家を飛び出したという経緯があったので、むしろ大学進学という道は眼中にありませんでした。19歳で親の庇護を離れてなんとか自活を始め、20代のほとんどを医療とは直接関係のない世界に身を置いていたのです。
結果的にずいぶんと回り道をしましたが、それは私自身がPSM(※)であり、多数派の人たちが選択するであろう一般的な進路を歩めなかったことに起因しています。
※ PSM…サイコソマティック・マイノリティ。すべての精神疾患は、正常と異常の二元論ではなくあくまで「特定の状況下での心身の反応が少数派であるだけ」とする考え方。
小学校の2年から4年までは父親の留学先のアメリカで過ごし、帰国して鳥取県に戻って以降は、地元の小学校に通いました。
友達と外遊びをしているときに空に浮かぶ昼間の月が目に入ったりすると、「空に見えている天体と今自分が立っている天体の、どちらが月でどちらが地球なのだろうか」と真剣に考え始めるような子どもで、幼い頃から独特の精神世界のなかを生きてきたように思います。
表面的にはなんの問題もない子どもに見えたでしょうが、内心では現実社会になじめていないような違和感をもち続けていました。
中学に進学すると、水泳部に入りました。新しい友達もできて、テストでも常にトップクラスの優等生でした。しかし、私のなかでは小学生時代に感じ始めていた違和感が、どんどん増幅して渦巻いていくような感覚を覚えていました。
中学2年になった頃、このまま高校、大学と進学して、どこかの会社に就職して、みんなと同じようなスーツを着て丸の内などにある企業に通う自分を想像したときに、とてつもない嫌悪感に襲われました。こんな社会はおかしい、大人は何か大事なことを隠しているのではないか、自分はこのままレールに乗るべきではないと考えるようになり、そこから不登校が始まりました。
当時の自分にとっては学校に行くことこそが社会が敷いたレールに乗ることを象徴する行動であり、まずはそこから降りる必要があると考えたのです。