不登校となり、「児童精神科の名医」を訪ねたが…
40年ほど昔のことですから、不登校に対する周囲の理解や許容はほとんどありませんでした。私自身も思春期の子どもですから、自分の心の状態を他人にうまく説明することができません。
精神科医だった父親は、手に負えなくなり、福岡にある児童精神科に私を連れて行きました。その診察がどんなものだったのか、今となってはまったく記憶にありません。
ただ確かなことは、精神科医である父も、児童精神科の名医とされていた福岡の医師も、当時の私にとってなんの助けにもならなかったことです。実際にはしばらくして登校を再開しましたが、それは彼らの援助が奏功したのではなく、母親が私を心配するあまり円形脱毛症になってしまったのを見て、さすがにまずいと思ったからでした。
学校に行き始めてからも、定期テストを白紙で提出したり、突然脱兎のごとく教室から逃げ出すといった奇行を繰り返していました。担任もクラスメートも、この不思議な小椋少年にいったい何が起こっているのかまったく分からなかったでしょうし、おそらく頭がおかしいと思われていたでしょう。
それでも、勉強だけはできたので、高校は地元で一番の進学校を受験して、合格しました。自分で進路を決定すれば、レールに乗っていることにはならないだろうと一応の納得ができたからです。そのときは、京都大学に進学して数学者か哲学者になろうと考えていました。
高校に入学してからしばらくは登校しましたし、中学と同様に水泳部に入りました。しかし、進学校だっただけに周囲は品行方正で勉強熱心な生徒ばかりで、中学の頃から感じていた「レールに乗せられている」という感覚をいっそう強く覚えるようになってしまい、また登校しなくなり、結局、そのまま中退しました。
今、精神科医の立場から当時の小椋少年を観察すると、精神疾患の診断基準には該当しないと思われますが、ARMS(精神病発症危険状態)にあたり、統合失調症などの精神病に発展するリスクが高い精神状態であったと考えられます。