親の死の間際、長男が下した決断に次男が受けたショック【在宅医が見た医療の現場】

親の死の間際、長男が下した決断に次男が受けたショック【在宅医が見た医療の現場】
(※画像はイメージです/PIXTA)

終末医療の選択は、これまでの人生の経験と価値観の結果、選ばれたものです。ともに介護し、ケアの日常を見ている当事者のご家族の中でも意見の相違が生まれます。※本連載は中村明澄著『「在宅死」という選択』(大和書房)より一部を抜粋し、再編集した原稿です。

同じ最期を前に、受け止め方はその人しだい

■「生き方」にも「逝き方」にも正解はない

 

死に、完璧を求める必要はありません。どんなに一生懸命に生きていても、後悔がまったくないという人はおそらくいないでしょう。もちろん完璧な人生を送れたらいいですが、後悔のひとつやふたつは誰にでもあるものです。

 

生きていれば、日常的にいろいろなレベルの後悔がたくさんあります。たとえば、ファミレスでものすごく悩んでメニューを選んだけれど、結局は友だちが頼んだもののほうが美味しそうだったといった小さな後悔から、大学受験の失敗や人間関係でのトラブルなどの大きな後悔までいろいろあるでしょう。

 

だから、死ぬときだけ後悔しないというのは、無理な話です。

 

これまで800名以上の方を看取ってきましたが、死に方にはその人の生き方があらわれるものだと感じています。

 

ご自分の最期をどう受けとめるかは、それまでの人生をどう受けとめてきたかによります。最期まで「どうして自分ばっかりこんな目に……」と嘆く方もいれば、一方で「病気のおかげで、こんなふうに娘が自分のために時間を作ってくれたわ」とおっしゃる方もいます。

 

■後悔も思い出の一部になる

 

ご家族の受けとめ方は、さらに後悔が伴いやすくなります。「もっとああしていれば、こうしていれば」という気持ちは尽きないかもしれません。

 

それでも、そのときその瞬間に決めたことが、その時点のベストな決断だった―そう信じられる力量こそが、実はいちばん大切なのではないかと思っています。正しい逝き方に定義はないのですから、受けとめ方次第とも言えます。

 

同じ最期を前にして「最善を尽くせたな」と思えるのか、「くそぉ、何が悪かったんだろう」と後悔しつづけるかは、その人しだいです。

 

ただ、そもそも後悔することは悪いことではありませんし、めずらしいことでもありません。自分ができるベストだったと信じて、後悔さえもいい思い出に変えてほしいと思います。

 

感謝の気持ちや幸せに対する感度を高めておくのも、死と向き合う家族にとっての大事な要素だと思います。

 

 

中村 明澄
在宅医療専門医
家庭医療専門医
緩和医療認定医

 

 

 

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「在宅死」という選択~納得できる最期のために

「在宅死」という選択~納得できる最期のために

中村 明澄

大和書房

コロナ禍を経て、人と人とのつながり方や死生観について、あらためて考えを巡らせている方も多いでしょう。 実際、病院では面会がほとんどできないため、自宅療養を希望する人が増えているという。 本書は、在宅医が終末期の…

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