死の間際の夫を残して…妻が急いで向かった「まさかの場所」【在宅医が見た医療の現場】

死の間際の夫を残して…妻が急いで向かった「まさかの場所」【在宅医が見た医療の現場】
(※画像はイメージです/PIXTA)

自分の思いを伝え、実際に行動する……。「亡くなる側」「残される側」それぞれの思いとは。 ※本連載は中村明澄著『「在宅死」という選択』(大和書房)より一部を抜粋し、再編集した原稿です。

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看取る人も後悔しないように

■思い出は大きな支えになる

 

亡くなっていく人の意思も大切ですが、残されるご家族にとっての後悔を最小限にすることも、とても重要です。

 

みなさん、ご本人がどうしたいかばかりを気にされがちなのですが、患者さんが亡くなったあとも、思い出とともに生きていかなければならないのがご家族です。

 

だから残される側にとっても悔いの残らないように、やりたいこと、やってあげたいと思うことを遠慮なくやってください。

 

自分の思いを伝え、実際に行動するのです。そのプロセス自体が、その後の大きな支えになります。

 

私自身、母の最期が近づいてきた7月のある日のこと、自分の「やりたい」を実行しました。もうだいぶ具合が悪くなって、今を逃したら外に連れ出す機会はないだろうという時期でした。本人はちょっと嫌がってはいましたが、車椅子でイトーヨーカドーに甚平を買いに行きました。母の入居している施設で開かれる夏祭りに、母と一緒に選んだおそろいの甚平で参加したかったのです。

 

本当に些細なことですが、この思い出は、私にとって今でも支えになっています。自分が最期にやってあげられてよかったと心から思えると、悲しさや寂しさが消えることはなくても、大きな癒やしになるものです。

 

■夢のコンサートへ

 

「主人をコンサートにつれて行きたい」と奥さまからご連絡があり、看護師と私でコンサートへ同行したことがありました。がん終末期のご主人が大好きな演歌歌手のコンサートです。

 

ご主人は急に具合が悪くなるかもしれない病状で、ふたりきりで行くのはかなり厳しい状況でした。そのため、会場にも協力してもらい、酸素ボンベをつけた車椅子で、スタッフ通路を駆使し、舞台裏から階段なしで座席までたどり着ける道順を用意していただきました。

 

今振り返るとちょっとやりすぎだったかなとも思いますが、幸い、当日は無事に何事もなく楽しんで帰ることができました。

 

当時、ご本人は「もう無理に行かなくても大丈夫だよ」とおっしゃっていたようです。けれども「大好きな○×さんの生の歌声を最期に聴かせてあげたい」という、奥さまの強いご希望がありました。

 

ご主人が息を引き取ったのは、その1週間後でした。そのあとこんなお手紙を奥様からいただきました。

 

「私の無理な夢を叶えていただき、今も感謝の気持ちでいっぱいです。Aホールでの○×さんのコンサートは、まさに奇跡でした」

 

後悔が残らないようにやりたいこと、やってあげたいことをするのは、ご本人のためだけではありません。残されたご家族にとって、その後を生き抜く力にもなるのです。

 

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「在宅死」という選択~納得できる最期のために

「在宅死」という選択~納得できる最期のために

中村 明澄

大和書房

コロナ禍を経て、人と人とのつながり方や死生観について、あらためて考えを巡らせている方も多いでしょう。 実際、病院では面会がほとんどできないため、自宅療養を希望する人が増えているという。 本書は、在宅医が終末期の…

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