医療提供者と患者の情報格差は解消しつつある
医療分野での期待形成について、医療のような専門性の高いプロフェッショナル・ヒューマンサービスでは、情報の非対称性と期待の不明確性により、期待形成が困難であるとの議論がある(島津,2005)。
第1に、情報の非対称性とは、患者と医療者の持つ情報の格差を示しており、医学的な専門知識の場合は両者に大きな格差があることから、治療や意思決定、結果に対する認識が異なる。第2に、患者による期待の不明確性とは、患者には疾病の治癒や症状の軽減という期待がある。
しかし、患者の期待が明確なのは、良くなりたい、楽になりたいと思うところまでであり、具体的にどのような治療をどのようなプロセスで提供されることを期待するのか、詳細は不明である。
例えば、期待の不明確性について、ある疾患に罹患した場合、患者の体質などにより疾患の状況は異なり、結果として治療方法も変わってくる。仮に患者が検査データを見ることができたとしても、医師と比べて患者がその疾患と状況を的確に把握し、最善の治療法を探り当てるのは極めて難しい。
また、患者は症状を説明することができるかもしれないが、患者の状態を明確に分類し、投薬について具体的に把握することは困難である。これは情報の不十分さによるものであり、そのため、医師と患者の間に不自然な力関係が生まれることを指摘している(Bloom et al.,2008)。
自分の身体状況を正しく理解すること自体が困難であり、結果的に患者はどこまで何を期待してよいか不明であり、期待を持ったとしても、その期待は明確ではないことが多い。したがって、患者の期待は不明確であり、具体的に期待を形成できないことが指摘されている(島津,2005)。
Williams(1994)は、多くの患者は、治療がより技術的に難解だと知覚するにつれて、自分自身が期待を持つことや、期待についての正当性を信じられなくなる傾向にあることを示しており、期待形成が困難であることを主張している。
一方、Fitton and Acheson(1979)は、患者の医学的状況の深刻さに対する知識と認識について、医師と患者の評価に一致した関係を発見している。ほんのわずかの患者は、問題の深刻さについて判断を間違えたものの、一部の患者の持つ特定の高度な技術的知識は医師よりも多いことを示している。Sitzia and Wood(1997)も、医師と患者の能力の差は絶対ではないことを主張し、情報の非対称性について否定している。
その理由として、第1に、医学についての知識の量と質は医師によって異なる。第2に、患者の病気の成り行きと治療の効果にしたがって医療は機能するため、医師であっても結果を確信できない。第3に、患者は多くの情報源から知識を得ることが可能であり、新米の医師と同程度の知識を持つ患者がいる。第4に、病気に関連する患者が持つ固有の情報を医師は常に持っていないことを指摘し、情報の非対称性に対する否定論を提示している。
我が国でも、医療提供者と患者の情報の非対称性は縮小しているとの見解がある。例えば、情報の非対称性は、厚生労働省による多くの医療に関する規制が一因であり、規制緩和に伴い情報提供が促進され、情報の非対称性は緩和している(遠藤,2005)。
つまり、過去に制限されていた病院のウェブサイトや看板などに掲載できる情報公開や表現が緩和された点や、また、カルテ開示、第三者評価の公開などが可能となり、患者自身が情報を取得できる内容が多くなったため、医療提供者と患者の間の情報の非対称性が縮小緩和している。
また、ICTの普及により、患者は病気のことや治療や薬のこと、医療機関に関する内容や評判など、様々な情報を取得しやすくなっているため医師と患者との情報の格差が小さくなり、情報の非対称性が緩和されている可能性が考えられる。
結論として、過去の研究においては事前期待が活用されているが、具体的にどの期待水準を想定して実証しているのか明確になっていない。なお、欧米の研究では、期待を分類し質問の語尾表現において期待水準を分けている。
例えば、予測する期待では、「あなたは〇×を期待していますか」、規範的な期待では、「病院の職員は患者に注意を払うべき」など、「Ought to(~するべきだ、~ねばならない)」、「Should(~したほうがよい)」を使い、理想的な期待では、「あなたはどのような治療を期待したいか」などと定式化できることが指摘されている(Thompson & Sunol, 1995)。
医療分野における期待の明確化は、期待形成が可能か否かについての基本的な議論を含めて、さらなる研究が必要であろう。
杉本ゆかり
跡見学園女子大学兼任講師
群馬大学大学院非常勤講師
現代医療問題研究所所長