何故という問いに見える「過去への憧憬」
彼の最後の著書となった『モーゼと一神教』は彼が死ぬまで、ユダヤ人であることを意識していたこと、あるいは死に直面してさらに強く意識しはじめていたことを示している。好意的な伝記を書いたユダヤ人ではないアーネスト・ジョーンズも、フロイトがとるにたらないような反ユダヤ的徴候にもかなり敏感であったと言っている。
このような人種差別を体験した彼は、この差別に対して何故という抗議の疑問を持ったに違いない。彼にとって何かという疑問は、何故かという疑問に比べるとものたりない疑問であったに違いない。
カール・ヤスパースのフロイト批判はこの意味において的を射ていないとも言える。というのは、ヤスパースの疑問は精神病者とは何かというものであるのに対し、フロイトの疑問は何故精神病者となったのかというものであるからである。
このフロイトの疑問が人間の精神力動を明らかにすることになったのは、この疑問の性質上当然ということができる。というのは、初めに述べたように、この疑問には時間的な要素が含まれており、時間的変化にともなう精神の動きをとらえているからである。反対に時間的要素がない疑問「何か」には、静止したものとしての答えしかない。そして、精神分析が患者の過去の体験を重要視するのは、何故という疑問には時間的に過去へという方向づけがすでに含まれているからである。
フロイトの何故という問いは、もう一つの理由からも説明することができる。この理由というのは、フライバーグの市長に宛てた手紙にも見られるような過去への憧憬である。このことはフロイトの診療室の写真を見ることによってよくわかる。というのは彼の机と飾り棚は、ギリシャ、エジプト、中国の骨董品が所せましと並べられ、書架にはエジプト学の本がぎっしりと所蔵されているからである。
そして彼自身、ステファン・ツヴァイクに宛てた手紙の中で、私は心理学の本よりも古代学の本の方をたくさん読んでいると告白しているほどである。もちろん彼はツタンカーメン王の発掘、トロイの発掘にも非常な興味を示し、考古学者のハワード・カーターやシユリーマンの本を読んでいる。また、彼がローマやギリシャの遺跡を訪れるのを楽しみにしていたのはよく知られており、ローマには生涯七回も行っている。
これらの事実から考えると、彼は過去に興味を持っていたからこそ、過去にさかのぼるような疑問を持ったとも言えるのである。
それではこのようなフロイトの過去に対する憧憬はどこからきたものであろうか。
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