相次ぐ家族の死で母のフロイトに対する愛着が増した?
フロイトの母、アマリーはジェイコブより二十才以上も年が若く初婚であり、彼女にとって、フロイトは長子であった。
生後七日目にフロイトは、ユダヤ教の儀式にしたがって割礼を受けている。このような儀式が去勢不安及びエディプス・コンプレックスの理論に影響を与えているのは言うまでもないであろう。
しかし、フロイトの両親はユダヤ教の熱心な信者と言うには程遠く、チェコ人の子守りが、フロイトをカソリックの教会によく連れて行くのに何らの反対もしていなかったようで、フロイトは家に帰って、教会で聞いた天国と地獄の話をくり返し両親にしたという。
後年、フロイトはユダヤ教に非常に興味を持っていたが(『モーゼと一神教』などの著書)、無宗教主義であったらしく、ユダヤ人の友人であった、フリースとの手紙にも日付として、キリスト教の祝祭日しか使っていない。これはユダヤ教にそれほどとらわれていなかった家庭環境に影響されたものであろう。
フロイトが生まれた時、母のアマリーは二十一才で、彼女はフロイトを「私の黄金のジギ」と呼んでかわいがった。フロイトの名であるジグモンドは、父方の祖父の名シュロモ(またはソロモン)のドイツなまりである。
家庭ではイエディッシュ語(ユダヤなまりのドイツ語)が使われていたらしく、前に挙げたチェコ人の子守りはチェコ語を話していたので、フロイトの語学の才能を伸ばす助け(フロイトは、ギリシャ語、ラテン語、フランス語、英語も使うことができた)となっていたと考えられる。
フロイトが一才五カ月の時、弟のジュリアスが生まれているが、この弟は六カ月後に死亡した。また、母の弟(フロイトの叔父)もジュリアスの死の一カ月前に亡くなっている。
多分これらの事実は、母親のフロイトに対する愛着を増すことにつながったと考えられる。ジュリアスのあとには五人の妹と一人の弟が生まれ、末っ子は成人後、フロイトがよく一緒に外国旅行をしたアレキサンダーである。彼の五人の妹のうち四人は、後にユダヤ人収容所で死亡している。
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