(※写真はイメージです/PIXTA)

「司法の国際化」が急速に進む今、日本はどう対応するべきか、日本企業はどう生き延びていかなければならないのかを考えていく本連載。今回は、「ヒンクリー地下水六価クロム汚染訴訟」と「内部告発訴訟」(Qui Tam Action)について、NY州弁護士・秋山武夫氏が解説していきます。 ※ドル対円の換算率を便宜的に1ドル130円で計算しています。

「民事訴訟」を促して「社会問題」を解決

<事例>事例環境汚染で最高額の和解――「ヒンクリー地下水六価クロム汚染訴訟」

 

1992年、南カリフォルニアのエド・マスリー弁護士事務所で働いていたエリン・ブロコビッチさんは、ロサンゼルスの北約150キロの小さな町ヒンクリーの不動産関連の書類を整理していた時、電力会社・パシフィックガス・アンド・エレクトリック社(PG&E社)がこの地域の住宅を買い上げていたこと、またその中に地域の家庭の医療記録が含まれていることに首をかしげました。血液検査で免疫が低下していることを示唆する内容でした。

 

疑念を抱いた彼女はヒンクリーへ出かけ、そこで、鼻血が止まらない子どもをはじめ、喉や皮膚にがんをわずらい何度も手術を受けている人や、腎臓や肝臓をわずらっている人、深刻な呼吸器系の病気をかかえている人など、健康を害している大勢の住民たちを目にします。亡くなった人も少なくありませんでした。

 

彼女は、PG&E社が住宅を購入したのはこれらの病気と関係あると考え、さらに調査を重ね、ついに地下水汚染を突き止めます。同社は汚染が進んでいる地域の住宅を密かに買い取っていたのです。

 

PG&E社は、ヒンクリーで天然ガスのためのパイプラインのステーションを運営しており、その冷却塔の防錆剤として六価クロムを使っていました。廃液を街の周辺に無造作に捨てていたため地下水が汚染され、それを日常的に使っていた住民に健康被害が出ていたのです。

 

ブロコビッチさんの地道な働きかけで住民400世帯以上の600人以上をクラスとする代表訴訟が、PG&E社を相手取って起こされました。裁判の過程でPG&E社は1952年から1966年の14年にわたって六価クロムで汚染した水を投棄し続け、水道局には報告せず隠蔽した疑いが出てきます。地下水の汚染は広がり続けていました。

 

当初は責任を認めなかったPG&E社でしたが、1966年、同社は住民たち原告に和解を持ちかけ、環境汚染での「クラスアクション」としては当時、最高額となる3億3300万ドル(433億円)での和解が成立しました。

 

ブロコビッチさんは弁護士事務所で働いていましたが、弁護士でもありませんし、環境問題にも素人でした。しかし一人で始めた調査がきっかけになって地下水汚染が明らかになり、600人以上への補償が実現しました。

次ページ映画にもなったこの事件。現実はハッピーエンドとはいかず…

※本記事は幻冬舎ゴールドライフオンラインの連載の書籍『司法の国際化と日本』(幻冬舎MC)より一部を抜粋したものです。

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