精神分析医の堀口尚夫氏は書籍『天才の軌跡』の中で、フロイトの生い立ちを語りながら、独自の見解を述べている。

何故フロイトは、「何故」という疑問を持ったのか

まず、彼の持った疑問であるが、これは彼の理論に明確に示されている。彼の理論中、最も有名なエディプス・コンプレックスを例にとると、幼児期の父親との葛藤が後に神経症の原因となるという説明は、明らかに何故という疑問に対する解答となっている。彼の性的外傷の論理も、原体験の仮説も、彼が過去にさかのぼって説明しようとする傾向を示している。

 

※エディプス・コンプレックス…母親を手に入れようと考え、また父親に対して強い対抗心を抱くという、幼児期におけるアンビバレントな心理の抑圧のこと

 

すなわち過去に原因を求めようとする何故という疑問に対する答えである。彼の最も有意義な発見であると思われる潜在意識は、人間とは何か、神経症とは何かという問いよりも、何故、人は言い間違いをするか、何故物忘れをするかという疑問に対する答えになっている。

 

彼の夢理論によると、人が夢を見る理由は、その人の願望充足であるそうだ。これもまた、何故という問いに対する答えである。これらのことからフロイトの疑問は主として、何故というものであったと考えられる。

 

何故フロイトは、何故という疑問を持ったのであろうか。

 

フロイトは一八五六年五月六日に当時、オーストリア―ハンガリア王国の片端、フライベルクという四千五百人の人口の町(現在チェコ共和国)に、ユダヤ人を両親として生まれている。この人口のうち百三十人がユダヤ人であったという。

 

フロイトの父ヤーコブは羊毛商人であったといわれているが、小商人と言った方が適当で、羊毛、麻、獣脂、蜂蜜、毛皮などを、当時オーストリア領であったガルシア地方(現在ウクライナ)から買い入れ、フライベルク及びその近郊で織られた布を染色してグルジアに売るということで生計を立てていたらしい(アーネスト・ジョーンズによると織物の工場を持っていたともいう)。

 

一家は、フライベルクに市民として居住していたわけではなく、大目に見て居住を許されていたユダヤ人として暮らしていたのである。彼の生家の写真を見ると、二階建ての正面に七つの窓がある、それほど大きくもない家である。ジェイコブ・フロイト一家はこの鍛冶屋の家の二階に部屋を借りて住んでいたのである。

 

当時ジェイコブは再婚しており、先妻とのあいだには四人の子供がいたが、二人は幼児期に死亡、長男(当時二十三才)と次男(当時二十一才)はフライドバーグに住んでいた。長男エマニュエルの息子ジョンはフロイトより約九カ月年長で、娘ポーリンはフロイトより六カ月年下であった。

 

フロイトとこの二人の甥と姪との幼児期の関係が、フロイトの性格形成と深い関係があることは、フロイト自身が気づいており、また、多くの伝記に書かれているとおりである。

 

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本記事は幻冬舎ゴールドライフオンラインの連載の書籍『天才の軌跡』より一部を抜粋したものです。最新の税制・法令等には対応していない場合がございますので、あらかじめご了承ください。

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