フロイトはユダヤ教を信じてはいなかったが…
この療法は「電気療法」よりもよほど効果があったが、フロイトはすぐにすべての患者が催眠状態に入るわけではなく、催眠状態に入る患者も充分に深い催眠状態に入ることができない事実を経験し、ナンシーのベルンハイム自身この治療の限界を認めているのを知る。
これらのことから催眠療法を断念し、フロイトの経済的後援者であり、ウィーンでよく知られていた開業医のブロイラーが持っていた症例(アンナ・O)の経験を通じて、カタルシスによる治療、自由連想法、精神分析の理論へと発展する過程はあまりにも有名であり、ここに述べる必要はないと思われるので、これからは、この小論の主題、すなわち、フロイトの何故という疑問はどこからきているのかという問いにもどろう。
筆者は彼がユダヤ人であって、ユダヤ人に対する偏見の強い社会に生きていたために、何故、という疑問を持ったものであろうと考える。同じ人間であるのに、何故私はユダヤ人として差別されて生きていかねばならないのか?という疑問が彼の人生の根幹にあったに違いない。
これまで述べてきたユダヤ人としてのフロイトの体験以外にも、彼がこの偏見を強く感じていたことは明らかで、以下の数例はこの証しである。
彼の最も重要な著書の一つである『夢判断』の中で、彼は自身の数多くの夢を分析しているが、その中で「友人Rは私の伯父である」という夢が意味するのは、ユダヤ人の同僚であるRとNが教授になれないのは、この二人がユダヤ人であることが理由ではなく、他の理由が原因であり、ユダヤ人である自分が教授になれないことはないという願望充足であると分析している。さらに同著の中で彼は、高学年になるにつれて、彼はユダヤ人であることを意識しはじめ同級生のあいだの反ユダヤ主義を経験したと言っている。
一九三五年に書かれた自伝の中では、この人種偏見への言及はさらに明確になっている。
短い前置きのあとすぐ、彼は両親がユダヤ人であることを述べ、彼の先祖は迫害を逃れ諸国を遍歴しなければならなかったことを信ずると書いている。そして、大学に入学した時、彼は「私はユダヤ人であるという理由で、私自身が下等であり異邦人であることを感ずることを期待されているのを発見した」と言い、「何故私は、私の先祖または民族を恥じなければならないかの理由を見出すことができなかった」と述べている。
彼はユダヤ教を信じてはいなかったが、ブナイ・プリスというユダヤ人会に入会し、隔週ごとに出席し、またこの会で講義をしていたことがある事実からも知られるように、ユダヤ人問題には強い関心を持ち、それに参加していたのは明らかである。当然のことながら、ドレフュス事件の判決には強い感情を持って反応している(フリースへの手紙、一八九八年二月九日及び一八九九年九月十一日付)。
この事件ほど世間の関心をひかなかったが、ハンガリーでの「儀式殺人事件」にもフロイトは注目している。というのは、ユダヤ人が容疑者(後に無罪)となったからである。
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