精神分析医の堀口尚夫氏は書籍『天才の軌跡』の中で、フロイトの生い立ちを語りながら、独自の見解を述べている。

フロイトはおびただしい量のラブレターを書いていた

一八八四年に彼はコカインの研究をしていて、自分でも使ってみて、うつ症状と胃カタル、消化不全に奏功するのを認めており、同年六月にはコカインについての論文を発表している。この中で彼はモルヒネ中毒患者にモルヒネの代用としてコカインを使うことを勧め、彼の友人であったフライシェルにもコカインを使うよう助言している。そして彼自身も気分的にすぐれない時には使用していたという。

 

しかし、モルヒネ中毒であったフライシェルはすぐにコカイン常習者となり、フロイトは友人の死期を早めたと後悔している。コカインの医学的用途として学界に認められることになるのは眼科の手術時の局所麻酔だけであったが、眼の手術時にコカインを使いはじめたコーラーも、ケーニッヒスタインも、フロイトのウィーン大学の同僚であって、特にケーニッヒスタインには、はっきりと局所麻酔に使えることを示唆し、犬の目の摘出の実験の際には、フロイト自身が助手として手伝っている。

 

この適用を最初に論文に書いたコーラーはフロイトからヒントを得たのをはっきりさせなかったのであるが、フロイトと彼の友人関係は悪化しなかったという。この背景には、コーラーがユダヤ人嫌いの同僚と決闘するような人であったことに関係していると思われる。

 

フロイトは五才年下のマルタ・ベルナイスと一八八二年四月に知り合い、同年六月に婚約し一八八六年の九月に結婚している。この間、フロイトは九百通の手紙を書いたという。そして手紙は四枚以下であることは稀であったというのであるから驚くべき量のラブレターである。

 

このラブレターを通読して、アーネスト・ジョーンズは、フロイトがマルタ・ベルナイスに願ったものは、連合(union)ではなくて融合(fusion)ではなかったかとしているのは興味深いことである。

 

一八八五年、彼は三人の志願者の中から選ばれて、奨学金を得て、パリの有名な神経学者シャルコーのもとへ遊学することになる。彼が選ばれたのは生理学教授のブルックの強力な推薦があったためといわれている。

 

彼が結婚するのは、この遊学から帰り、ウィーンで開業した一八八六年である。自伝によるとシャルコーのもとでの六カ月のあいだ、最も印象が深かったのは、ヒステリー症の研究であったという。彼はウィーンに帰った時、その報告をウィーン医師会でするのであるが、会の主流派の人々には信ずるに足りないと非難されている。

 

彼は神経科の医師として開業しているが、これは彼のこれまでの基礎及び臨床医学の経歴から当然の選択であった。しかし、患者の多くは神経症(ノイローゼ)であり、神経疾患は少なかったらしい。当時、神経症の治療として認められていたのは「電気療法」であったが、フロイトはすぐこの治療法が何の効果も示さないことを経験し、一八八七年の十二月から催眠療法を始めている。

 

彼自身によるとこれは、シャルコーのデモンストレーション(催眠を使い症状を作り、催眠を使いそれをとり消してみせた)と、ナンシー学派の暗示療法の成功のニュースに影響されたものであるとしている。

 

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本記事は幻冬舎ゴールドライフオンラインの連載の書籍『天才の軌跡』より一部を抜粋したものです。最新の税制・法令等には対応していない場合がございますので、あらかじめご了承ください。

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